2018年10月29日月曜日

角筈街歩き10月27日(土)

新宿区の角筈図書館が開催した「角筈まちあるき2018」に参加した。毎年開催されているらしいがぼくは2回目だ。今回は甲州街道の南側を新宿駅南口方向に歩く。
 新宿中央公園の南西にある角筈図書館から出発。
都庁(左)と新宿パークタワー(右)。どちらも丹下健三の設計なので雰囲気が似ている。
右のビルは新宿パークタワー。手前は甲州街道の上の高速道路。
明治神宮の西参道を少しだけ南に行く。広い道の両側に灯籠が見える。この道は西参道になっているが、もともとは明治神宮がその跡地に造られた代々木練兵場、その前の南豊嶋御料地へ甲州街道からはいるための道路だった。

左のビルは新宿パークタワー(東京瓦斯の瓦斯タンクの跡地に建っている)。
玉川上水の流路あと(東側)を見る。この後、西側を、流路をたどって歩く。公園になっている、地下に京王線がはしっているらしい。
尾根筋をはしっている玉川上水跡から谷筋におりる。玉川上水は流路を確保するために小さな谷や窪地があると盛り土をしていたらしい。
河骨川(下流は渋谷川)の川跡方向に向かう。童謡「春の小川」の舞台と言われている。
 たしか、国立近代美術館で見た。
この坂の北側(写真の左側)の広大な土地がかって山内子爵邸だった。土佐藩主山内一豊の子孫だ。
坂の上から。
南に向かう。道の西に向かって、何本もの急坂がある。傾斜が9度以上になるとコンクリート造りでこの模様のある坂になるらしい。
 河骨川の川跡。南方向。
北方向。
河骨川川跡から小田急参宮橋駅に近づく。「よくもっているなー」と思うお店。
参宮橋駅。結構、複雑な場所にある駅だ。
 駅近くのお宅の入口にあった道標。大山石尊大権現、神仏分離令以前の大山阿夫利神社の呼び方だ。道標らしい、どこかから移設したのだろうか。

 代々木3丁目付近は昔は山谷という地名だったらしい。二つの小学校が統合され新設されたこの小学校は昔の地名を使っている。小田急にはかって山谷駅もあったらしい。

菱田春草の住居跡の看板があった。
道路をはさんで階段が向かい合っている。
反対側の階段の上から。
先程の「春の小川」を作った国文学者、作詞家の住居跡。現在も子孫が住んでいるようだ。
有名な人の住居跡がつぎつぎ出てくる。
平田篤胤(神道家、国文学者)をお祀りした神社。
代々木川の川跡。北方向。
南方向。
代ゼミのビル。ぼくのころから見ると、大出世していて、すごいなーと思った。
 小田急電鉄旧本社ビル。1927年竣工、設計は渡辺仁。1945年の空襲後改修された。現在も使われていて、風情のあるビルだ。南新宿駅近くにある。



この後、新宿駅のバスタのあたりで解散、すこし短めの街歩きだったが知らなかったことが多くておもしろかった。先生、ありがとうございました。

2018年10月25日木曜日

西荻窪・善福寺公園周辺の街歩き10月23日(火)

朝日カルチャーセンターの「東京山の手の階段と街を訪ねる」の10月分に参加した。
JR西荻窪駅に集合して、出発。この像は「せんとくん」の作者、藪内佐斗司の作品。六つの像がこの周辺にある。
 岡山県高梁市出身の弓道家の旧宅兼弓道場。亡くなった後、高梁市に寄付されて弓道場および高梁市のアンテナショップとして運用されている。

 住宅地化される予定だったが付近住民のケヤキの大木保存運動で杉並区が4億円で買い上げて公園とした。ケヤキの大木は杉並区貴重木として、管理されている。ここから4枚の写真。



 すぐ隣の井荻公園。ここもケヤキの大木が多い。善福寺川の谷の斜面地を利用した公園。
公園内にも作品があった。
 善福寺川沿い歩道にあった説明看板。
川底に湧水が見えるように工夫されていた。真ん中の円い場所から水が湧き出ていた。擁壁下の2か所の排水管からもかなりの量が流れ出ていた。
 荻窪中学校前の道端の作品。今日は六つのうち三つを見物。
明治から昭和にかけて活躍した地元篤志家が建てた会館、現在は催し物に使われている。この方は西荻駅北西部の区画整理(道路の整理等)で活躍した、そのおかげで、このあたりが良質の住宅地として残っている。
 東京女子大。建物はライトの弟子、アントニン・レーモンンドの設計。プロテスタント系の大学。




 大正時代末に開かれた同潤会の住宅地にはいった。当初の住宅の面影が残る家。
 屋根の形が独特ということだった。
 外環道は大深度地下に作られているがインターチェンジは地表になる。
 同潤会住宅地の特徴の一つ、桜並木。
これも特徴の一つ。四つ辻に商店、集会場のある風景。昔はこの四つ辻でお祭りなど催しをしたらしい。
近くにもう一ヶ所の同潤会住宅地がある。さっきのものより敷地面積が大きい。古い建物はこれ一軒ぐらいらしい。古いままで借り手を募集しているとのことだが応募者はないらしい。
井草八幡宮。大きい神社だ。鳥居の先で5年ごとに流鏑馬が催されるので、地面は土のままだった。




 結婚式が行われていた。
 ひさしぶりにウドが食べたくなった。
 さきほどの地元篤志家主導よる土地区画整理事業の説明看板。
こちらはその記念碑。八幡宮の正門横にある。
 善福寺公園の北半分を歩いた。遅野井の滝、昔はここからも湧水が流れていたらしい、現在は汲み上げのようだ。池底からの湧水量は多いらしい。限定的な使用だけれど東京都水道局の汲み上げ井戸として水源になっている。
 パチンコ長者のお宅らしい。
善福寺稲荷神社。隣の家が気になるーーー。
 江戸の六上水の一つ。現在は役目を終えて、下水高度処理水が流れている。もう少し先からは暗渠となる。


 千川上水と上石神井立野の石造物の説明看板。
 庚申塔。
供養塔。

この後、西武上石神井駅で解散した。説明を聞きながら、わいわいがやがやとたのしく歩いた。先生、みなさん、ありがとうございました。

付録、今日の古い型板ガラス:
同潤会の住宅地でいくつか見つけた。
 クローバー、1967年、2ミリ、4ミリ、旭硝子。
 わかば、1967年、2ミリ、4ミリ、日本板硝子。
 からたち、1966年、2ミリ、4ミリ、6ミリ、日本板硝子。
  クローバー、1967年、2ミリ、4ミリ、旭硝子。
こと、1969年、4ミリ、日本板硝子。