2017年6月7日水曜日

さいたま新都心駅→氷川女體神社6月4日(日)

埼玉スリバチ学会の「氷川三社の二社と片柳の大宮台地」フィールドワークに参加して、1日中歩き回った。さいたま新都心駅のある大宮台地から下って、見沼たんぼ(低地)を渡って、北西側の見沼区の大宮台地に上り、台地と見沼たんぼを行ったり来たりして、最後は見沼たんぼを南東に渡って、緑区の大宮台地に上り、氷川女體神社におまいりするというコースだった。
ここから20数名で出発。
 駅前は生糸の工場の跡地が再開発されて、賑やかだ。
この公園も工場跡地。
見沼たんぼと呼ばれている広大な低地は 、縄文時代には東京湾の入り江だった。6000年ぐらい前に海が後退して、東京湾に流れる沼地、湿地となった。江戸初期に下流側をダムで堰き止めて、見沼溜井として、農業用水を確保した。江戸中期にダムをつぶして、もとの低地、湿地を干拓し、新田開発をした(見沼たんぼ)。この時、見沼たんぼの西縁と東縁に農業用水をひいた(見沼代用水)。このため、今日歩いた所のあちこちに用水路(跡)が残っていた。
 現在は住宅地を流れているものもある。台地を下って行く。
 水門。
水量の多い用水もある。
見沼たんぼに下りた。ここは見沼たんぼの南の部分でここから東側に続いている。 数十年前はまだ一面が田んぼだったのだろうが、現在は家庭菜園、荒地、学校等の運動場、田んぼ、畑がいりまじって雑然としている。一部、保全緑地になっているところもあった。市、県が努力しているんだと思う。
 新都心駅の方向。
 北袋河岸のあったあたり。江戸時代には江戸をささえる米どころだったので、舟運で米を運ぶためのりっぱな集積所があったらしい。芝川上流方向。
 下流方向。美化に取り組んでいるようだがかなり汚い川だった。もっともカワセミが飛んでいたがーーー。
ご夫婦?二人ではたいへんだろうなー。
新都心方向。
 対岸の台地の突端にある神明宮の上る。
近くの公園からは見晴らしがきく。
 ぼくも登って撮影。目まい持ちなので、落っこちそうな気がして、うまく撮れなかった。
 馬頭観音。ちゃんとお世話する方がいる。
 圓蔵院。14世紀末創建らしい。シダレザクラ。

 イチョウ。


 境内に石仏がおまつりされていた。
その内の庚申塔。本体部分は改装されているようだ。
 中山神社に向かう。長い参道。
途中に幹線道路があるが、まだまだ続く。
境内社の荒脛(アラハバキ)神社。この神様は、ミシャグジ神とともに謎の神さまだ。などと思っていて、拝殿を撮るのを忘れた。
 ここも参道だったらしいが今は道なき道だ。
 だけど道はここに通じているので、大事な道だったはずだ。
この神社は明治の終わりまでは、中氷川神社とか氷川神社とか呼ばれていた。大宮氷川神社、中山神社、氷川女體神社は氷川三社と呼ばれており、直線上に並ぶ位置にある。ご祭神は、大宮氷川神社が「スサノオノミコト、クシナダヒメ、オオナムチノミコト」で、中山神社が「オオナムチノミコト、スサノオノミコト、クシナダヒメ」で、氷川女體神社が「クシナダヒメ、オオナムチノミコト、ミホツヒメノミコト」となっている。お父さん、子供、お母さんとならんで、幸せな家族をあらわしているのだろうか。クシナダヒメはスサノオノミコトに助けられて、奥さんになっているし。いずれにしても、三社一体でめでたしめでたしだ。
 諏訪神社。徳川家康ゆかりの神社らしい。

この後、三々五々、お昼ご飯を食べた。初参加だと言っていたご夫婦と牛の助で焼き肉の定食を食べた。今日はいつもより豪華版になった。
 見沼田んぼに下りて、1980年から住宅団地になっている低地を渡る。

ここにも用水路があった。
台地に上って、 見沼区御蔵の鎌倉公園。豪族の居館跡らしい。三方が睨める高台。
 ここでも人の確保についての徳川家康の深謀遠慮がうかがえる。会長の用意した江戸時代の絵図を見ながら歩く。
 太田道灌ゆかりの場所らしい。昔、このあたりは重要な場所だったようだ。
畑と 植木のストックヤードのようだ。

 大きい。住人とは共存しているのだろうか。

 立派な農家。上下の写真は同じ家。

ここ御蔵には、大きい家が多い。
 このお宅は山野草を管理しているらしく、いろんな花の地図が貼られていた。ついこの間、花の時季が終わったものばかりなので残念だった。


この後、谷を渡って、見沼区山に向かう。
 江戸時代の絵図には長久寺となっているあたりの祠、石神?、石仏。このお寺は現在はなくなっている。
 祠の中の石神?。お賽銭や御幣があった。
 馬頭観音。
 馬頭観音。
 字が書いてあるが読めなかった。祠からここまではかたまって設置されていた。
すこしはなれた道路脇にあった石造物。事前に調べてくれていたメンバーによると仙台にまつられている歯に霊験の新たかなお地蔵さんに奉納されたものらしい。遠く離れたお地蔵さんなのにと思う。この石造物の向うが今はなきお寺の敷地と思われる。
 山にもりっぱな家が多い。この引っ込み道を恐る恐る行ってみた。りっぱな生垣だ。
 大きな家だった。
 クリが満開。すごい匂いだった。
 山邑神社。
 お堂の中の絵馬。前にも埼玉スリバチ歩きで見たような気がするが、これも天岩戸開きを描いたと思われる絵馬だ。
境内で一人で遊んでいた少年。あまりに高く上がってびっくりした。ぼくが小学生の頃、ガキ大将の同級生が同じことをして、落っこちて、上から落ちて来た腰掛部分が頭に落ちて来て、ちょとした怪我をしたのを思い出した。ぼくには考えもおよばないことだったがーーー。いまでもこんな子もいるんだとうれしかった。
休憩に立ち寄ったファミリーマートの近くから見沼たんぼ方向を見おろす。
 ファミマ筋向いの庚申塔。


 女性(ショケラ)の髪を持って吊り下げている図柄だ。

 ファミマで一休みした後、熊野神社へ。

江戸時代の片柳村の絵図に載っている荒神様とお稲荷様がここに移されていた。
露頭をみるために台地から見沼たんぼに下りた。露頭は草が生えていたり、根元の方が耕されていたりでうまく見れなかった。ここは畑の地域だった、長い柄のクワでたいへんそうだった。

1cmぐらいのきれいなカミキリムシ。
 すぐに台地に戻る。
長屋門のあるお宅。
 次の露頭を見に見沼たんぼに下りる。ここも草ぼうぼうであきらめた。
 埼玉県の森林保全地区らしい。
看板の横の植物は保護されていた。めずらしい植物なのだろうか。
 見沼たんぼを横切って南側の台地に行く。このあたりは植木屋さんの畑の地区。

西側、遠くに新都心が見える。
 東側、畑が続く。
 芝川を渡る。東側、下流方向。
西側、上流方向。新都心と山々が遠くに見える。
 台地の縁の用水路。
 緑区の台地に上る。馬頭観音。
門の横にも馬頭観音。
 上の写真と同じ馬頭観音。
 氷川女體神社への台地上の参道の鳥居。車の衝突除けがものものしい。


スリバチの道路。
 つづいてスリバチの幹線道路。
 氷川女體神社の祭祀遺跡。


 氷川女體神社。
 移設保存されていた道標。
さっきの幹線道路のスリバチを反対側から見る。

この後、バスで浦和駅に出た。懇親会には出ないで、そこから湘南新宿ラインで帰った。
案内してくださった会長、わいわいがやがやおしゃべりしたメンバーのみなさん、ありがとうございました。運動もお話も、たのしかったです。

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