小田原城愛好会のfacebookで募集があった、大外郭の会主催の「小田原城総構を一周しよう!」に参加した。9時小田原駅北口に集合なので、気合を入れて、早起きして、ロマンスカーで出かけた。
ロマンスカーの車窓から見えた富士山。
北条早雲の銅像の下に集合。盛会で70名の参加だった。
まず、駅から北東に向かって、東側の東海道線線路の南あたりの総構跡を見に行く。
オレンジ色の線が ご一緒した井上建さんが作成されたログ。
上のログを迅速図(明治初め作成の地図)落としたもの。これも井上さん作成。
途中にあった高長寺、北村透谷のお墓があるらしい。
途中にあった少年院の正門。
総構の水堀の跡である渋取川。当時はもっともっと巾があったらしい。
この後、東海道線を越えて西側に総構は続いていたのだが直にはたどれない。あの家並のあたりとか説明を聞きながら遠巻きに歩く。
その時に通った、少年院と民家の間の細い道。やっと人ひとりが通れる細さだが、生活道路として普通に使われていて、人通りがあった。
崖に沿って、このあたりが総構の跡と説明を受けながら歩くが、ペースが速いし、人数も多いので、あわてて写真を撮るため、ピンボケやブレが多くて使えないものが続出。
左側が斜面になっているここは総構の跡。崖の途中であるこのあたりに堀が続いていたらしい。
崖の上(城内側)まで行って見下ろす。崖の下は城外(総構の外)だ。
結構な高低差だ。
続いて山側(北側)の総構跡をたどる。私有地なので、ところどこにフェンスのようなものがある。ここも直進できない。
さっきのフェンスのようなものの向う側に来た。総構跡の様子がよくわかる。
同じ場所を横から。
さらに先はこういう風に高台になっている。
このあたりの説明看板。
丘の上に上って、さきほどからの写真の場所を見下ろす。
頂上の広場。周囲の見晴らしがいい。
さらに総構跡が続いて見られる。ここは茶畑になって続いている。
向うの方まで続いているのがよくわかる。
のんびりした場所だ。
南にお城が見えた。
さらに進む。畑、茶畑、果樹園になっている。
左側が土塁。
南北にはしる空堀もある。山ノ神押切。城内側から上の写真の空堀に直角に造られている。
2枚上の写真の空堀内を進む。
大外郭の会の方々が矢竹や竹などを伐ってくださったので、歩けるようになった。感謝だ。
以前には崖の上から見おろしていた場所に行けた。稲荷森堀。
整備されて保存されている小峰御鐘ノ台大堀切の方面に向かう。
土塁が二重になっていて、鉄砲での守りもしやすい。
城山公園でお昼ご飯。海がきれい。
整備されている大堀切を周る。
総構跡の北西に突き出した部分に向かう。まず、南側の空堀の部分に下りた。足もとが悪い。
そこの部分。
先は大勢では行けないので、戻る。
北側の部分に回り、北側の風景を見る。
ここも茶畑だ。 ここからは総構跡の丘の部分を下って、三の丸土塁跡に向かう。
海の方向。
山の方向。鉄塔のあたりが石垣山。右の小山が富士山砦跡、この砦は小田原合戦が始まってすぐに豊臣軍の細川勢に落とされた。
土塁跡。目の前が一夜城なので緊迫していた場所と思われる。
ここからどんどん海岸へと下って行く。
新幹線線路と交差する所の小田原用水。ここも総構の防備の一部と思われる。
海岸線の部分に到着。海岸沿いに東に向かって総構跡が続く。
しばらくの間、外側には小田原用水が続く。
総構跡沿いの細い道路をしばらく行くと道祖神があった。この道が一時は東海道だったと言われている。
伊藤博文の別荘があった場所。ここにある垣根が総構の土塁跡。
これも土塁跡。
北条稲荷。ここから総構は海岸を離れて、北西方向に山の方角に向かう。
お狐様の像が大変印象的。以前にも来たが何度見てもすばらしい。
江戸口見附跡。このあたりから暗渠となっている水堀跡の渋取川をたどった。
整備されて残っている蓮上院土塁跡。
この橋のところで暗渠が終わって、開渠になった。
朝、出発した地点にもどった。
ここで解散。懇親会には出ずに小田原駅からロマンスカーに乗った。
駅からのお城。
ロマンスカーが入線。
ちょっと疲れた顔。お弁当を食べながらゆったりと帰った。
なかなか行けないような所にも案内していただき、たのしかった。企画・案内いただいた山本さんとサポートしていただいた大外郭の会のみなさんに多いに感謝だ。
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