2017年9月25日月曜日

高麗(埼玉県日高市)里歩き9月23日(土)

埼玉スリバチ学会の「曼珠沙華の季節に高麗・日高Ⅰ」に参加した。巾着田の曼珠沙華(ヒガンバナ)、渡来人の里、川・崖・chert(岩石の一種)を見物して歩いた。
 西武秩父線高麗駅に集合。池袋線、秩父線と乗り継いで来た。
 高麗駅のある日高市は、奈良時代の8世紀のはじめに朝鮮半島北部で滅んだ高句麗からの渡来人が集まって開拓した地域らしい。時の政府が関東一円に散らばっていた旧高句麗の人達を現在の日高市を中心とした地域に集めて、高麗郡をつくり、初代郡司に高麗王若光(こまのこきしじゃっこう、渡来人の中の有力者)を任命した。そういう特色が現在まで引き継がれている。


養蚕の名残であちこちに桑の畑跡が見られた(もしかしたら、現在も桑畑なのかもしれないが?)。
 まず、駅近の石器時代住居跡に行く。川に面した丘の斜面なので、昔から住みやすかったのだろう。
 もちろん日本語の説明看板もあったが、ハングルのこの看板は立派で目立った。今日歩いた所はハングルの説明看板が充実していた。
 江戸時代の高札場跡。
 勝海舟の書と言われている筆塚。


庚申塔。→読者から指摘があり、不動明王または馬頭観音とのことだった。
高麗川。水量が多い、手前は魚道。


 九万八千神社(くまはっせん)。
高麗本郷陣屋がここに建っていたとのこと。巾着田とその周辺が一望できるいい場所だ。


 日和田山に登る。途中の金刀比羅神社から巾着田を一望できるらしい。
 男坂は大変ということだったので、女坂で登った。
北朝の年号がはいった宝篋印塔(崩れているが)。岩石はchert(海底に堆積して出来た古い岩石らしい?)。登山道の途中にもたくさん露出していた、すべって歩きにくかった。
 金刀比羅神社に到着。
巾着田が眼下に一望できた。

これもchertらしい。
 右奥が拝殿。chertの上をすべらないように歩く。
金刀比羅神社にお詣り。
 つづいて山頂へ。すぐだった。
305m。
来た道をもどる。結構な落差だし、すべりやすいし、で疲れた。
 巾着田の区域は有料だった(300円)。ヒガンバナより先にみんなで高麗川の崖の露頭を見に行く。
 露頭については、いつものことだけれどよくわからない。



次にヒガンバナを見に行く。

 たくさん出店が出ていて、ここでお昼ご飯。


 その後、巾着田見物の続き。
 渡って、振り返る。また、元の向こう岸にもどった。


 巾着田を出て、この橋に行く。

 橋のたもとから巾着田の私有地(農地)を見たら、馬がいた。
 橋の上から来た道を見る。

 高麗川の巾着田と逆の方向。

投網だった。
 高麗郷古民家(旧新井家住宅)。江戸時代末から明治時代前半の建築。新井家は江戸時代末に名主を務めていた。
 なんとなく、建物の雰囲気が韓国テレビドラマ時代劇のお屋敷に似ている。

敷地も含め立派だった。
 ここから少しだけバスで移動した。国際興業バスのアニメ「ヤマノススメ」のラッピングバスだった。ラッキー!

二次元美人ファンとしては、うれしかった。
楡木バス停の北側に小川にか囲まれたミニ巾着田様の場所がありそこを見に行った。露頭があった。
 そこにあった栗畑。

再び、高麗川に。橋の上から。

橋のたもとの馬頭観音。
おなじくヒガンバナの群生。
 河原に下りる。キャンプやBBQが盛ん。
 戦前の橋脚跡らしい。
向う岸にも。
流れを飛び越えて、chertに乗る人達。
 野々宮神社。700年ぐらいに社殿改築の記録がある古い神社。

付近の農家。養蚕の造りになっている。
 めだつ飾りの家。

ここも。
馬頭観音。
 高麗神社。666年創建と伝わる。

 たくさんならんでいたがお詣りした。おそくなり、時間ちょうどに集合場所に行ったら置いてけぼりをくらって、走って次の場所に行った。

 代々ここの神職を務めた高麗家の住居跡。江戸時代はじめの建物。
柿をもいで、食べていた。
 聖天院。高麗王若光の菩提寺。751年創建とのこと。

王廟。
 狛犬的な羊。
崖の上に新しい本堂がある。
 本堂前からの風景。
 本堂の工事中に山を削ったら出て来た岩(chert?)。
 本堂の裏山。古いタイプの庚申塔らしい。
スカイツリーと思われる。18×の望遠で。


 また、高麗川を渡る。


 湧水。
栗坪バス停近くの熊野神社。ここで解散。

懇親会には出ずに、所沢に住んでいる方と二人で高麗駅まで歩いて、西武線で帰った。
会長の企画、案内と仲間との交流のおかげで、たのしく歩けた。感謝感謝だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿