集合場所で会長がお出迎え。
今日のいでたち。
都会なのに、田舎の駅の雰囲気。ヤマモモの立派な木。
駅近くの造園業を営むと思われるばかでかい家。大木が生い茂る。
屋敷内に立派な祠があった。
左側の家は京王線の昔の線路の敷地跡に建っているので、まわりの家と、家の向きがちぐはぐになっている。しばらくはこういう場所が続いていた。
野川。ここから5枚の写真、水もきれいだし、川岸に自然も残っていて、田舎の川の雰囲気が残っている。
橋の下の日陰でピクニック。いいアイディアだ。
中学校の校庭に立てられていた京王線旧線路跡の説明板。上下の写真。
住宅のなかに農地も残っている。エダマメ。
キャベツ。
ズッキーニ。
野川。上下の写真。
野川に流れ込むマセ口(ませぐち)川。みずはきれいだったが溝の雰囲気。上下の写真。
元気に走り回っていた子供達。
農業体験らしい。
お父さんに見守られて魚とり。マセ口川。
昔、江戸をささえる農業地区だったので、村の神社も立派だ。
植木屋さん?上下の写真。
祇園寺。
入口の石像。以前に高麗歩きの時に見たものと似ている。渡来系の人達にゆかりのあるお寺なのだろうか。
板垣退助お手植えの松らしい。
お寺の由緒に亀が関係しているらしい(説明板による)。
今では、ちょっとめずらしいお店。上下の写真。
そんなに歴史があるわけではないが、なかなかの意気込みだ。
参観日のようですごい量の電動ままちゃり。
国分寺崖線の緑が近くなった。
中央自動車道南側の調布市立野草園に到着。
広くはないがいろいろな山野草が植えられていた。
都立農業高校の神代農場の南端のフェンスから上流の谷(湿地)の方向を覗く。
国分寺崖線からの湧水で流量が多い。上下の写真。
中央自動車道。
ここは崖線の上なので南側の低地を見下ろす。
平地に下って、コンビニ休憩。
駐車場で、生命保険の契約?
アイスも食べる。
先程の佐須神明宮の説明板にも載っていた虎狛神社。村の神社。ここも立派だ。
ソロ(アカシデ)の大木。
中央自動車道下のトンネルの溝を流れる湧水。
ここを入って行くと緑道があるらしい。
このフェンスの向こうの深大寺城跡から、いつも、どういう道だろうと眺めていた場所だった。深大寺城の掘割跡らしい。
いつもはフエンスの向う、左側から眺めていた。
深大寺に向かう。
深大寺で昼食解散。そばを食べに行く人が多かったが、何べんも来て、食べ飽きているので、串団子とそば餅を買ってベンチで一人で食べた。
あたりを一人でぶらぶらした。
集合して、神代植物公園の水生植物園へ。
園内の深大寺城跡へ。
さっきの場所を内側から。いつもここから眺めて、いつか行ってみたいと思っていたので、ラッキーだった。
江戸時代からケヤキの大木で有名だったらしい。
さっき覗いた都立農業高校神代農場を崖の上から覗く。
カンゾウ。
大邸宅に生えていたカゴノキ。
すごく立派だ。木の肌の模様に特徴がある。
ひさしぶりの庚申塔。
海上・港湾・航空技術研究所の400m実験水槽の建屋。この向こうに伝鎌倉街道跡があると言うので見に来たがよくわからなかった。
少し先の研究所に突っ込んだ型の住宅地から覗いた。感じのいい地道が見えた、多分あれだろうという事になった。写真はうまく撮れなかった。
仙川。この川も田舎の川の雰囲気がある。上下の写真。
丸池の近く。
このあたりは数十年前までは、水の湧く湿地帯だったらしい。水神をお祀りした跡らしい。今は石の祠しかないがーーー。
勝淵神社。柴田勝家ゆかりの神社。旗本だった勝家の孫が創建。もともと地下水をつかさどる女神の祠があったらしい、現在もご祭神は、『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と書かれている女神らしい。
地元の人達によって復元?され、公園になっている丸池跡。もともとは池というよりは湧水地帯の湿地だったらしい。
地元の小学校数校の田んぼ。小学生が田植えした。
仙川を泳ぐカルガモ。
天神山砦跡。由緒はわかっていないらしい。
春清寺。ちょっとかわった雰囲気のお寺。ここも柴田勝家、勝重(孫)ゆかりのお寺。右側はお寺経営の幼稚園。
丘の上から入間川の谷とその向こうの丘を眺める。
急激に落ち込んでいる。
入間川(中仙川)の川跡(暗渠)。
甲州街道と交差、入間川は甲州街道の向う側からは開渠になる。京王つつじヶ丘駅の近く。ここで解散、ぼくは懇親会にはでなかった。
一人で開渠を見に行った。
野川や仙川と違い、都会の溝の川だった。
たのしい街里歩きをありがとうございました。会長、みなさまに感謝、感謝だ。
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