杉並区立郷土博物館の杉並区の立体地図上に展示されている遺跡分布を見たくなって(過去に何度も見ているが)、出かけることにした。無理をせずに、バスで大宮八幡宮に初詣に行って、その帰りに歩いて博物館に向かった。
郷土博物館。大宮八幡宮は通常の雰囲気だったが、こちらは、まだお正月の雰囲気だった。
荻窪は、荻が茂った湿地帯の窪みだったので、荻窪と言う地名になったらしいい。その荻で作ったウサギが飾られていた。
障子がきれいだった。
遺跡の分布はボタンを押すと地図の上にひかって示される。旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代とボタンがあって、別々に示されるが、いつの時代もたくさんの集落が川沿いにあって栄えていたことがわかる。賑わっていたのを想像して、うれしくなった。満足して、写真を撮り忘れた。
昭和30年前後の暮らしの展示もされていた。そのなかでいくつかなつかしいものがあった。この洗濯機は小学生の頃、家にあって使っていた。ロールの間に洗った洗濯物を挟んで取っ手をまわして絞っていた。
この冷蔵庫も使っていた。すぐに電気冷蔵庫に切り替わったと思うが覚えている。当時、丘の上に住んでいて、氷屋さんが直方体の氷を自転車に積んで坂の下までは運んでくれるのだが、そこからは家のものが運んでいた。多分、夏の間だけだったと思うが、毎朝決まった時間に取りに行った。置きっぱなしでほったらかしなのだからのんびりした時代だった。ぼくもたまについて行ったが重くて大変そうだった、この時代、主婦は力持ちで足が強くないとつとまらなかった。
上の扉を開けて氷をいれる、下の扉を開けて冷やすものをいれる。氷が解けた水は管で下にでてきて器で受けていたと思う。
昭和30年前後の暮らしの展示もされていた。そのなかでいくつかなつかしいものがあった。この洗濯機は小学生の頃、家にあって使っていた。ロールの間に洗った洗濯物を挟んで取っ手をまわして絞っていた。
この冷蔵庫も使っていた。すぐに電気冷蔵庫に切り替わったと思うが覚えている。当時、丘の上に住んでいて、氷屋さんが直方体の氷を自転車に積んで坂の下までは運んでくれるのだが、そこからは家のものが運んでいた。多分、夏の間だけだったと思うが、毎朝決まった時間に取りに行った。置きっぱなしでほったらかしなのだからのんびりした時代だった。ぼくもたまについて行ったが重くて大変そうだった、この時代、主婦は力持ちで足が強くないとつとまらなかった。
上の扉を開けて氷をいれる、下の扉を開けて冷やすものをいれる。氷が解けた水は管で下にでてきて器で受けていたと思う。
展示ははかに戦前戦後に地域で活動した詩人のものがあった。興味はなかったが展示されていた写真の服装や髪型が、小さい時の自分や周りの人達のと同じでなつかしかった。
歩いて家まで帰った。
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