埼玉スリバチ学会の「鴻沼・木崎・北袋の谷と不思議な台地」に参加した。
午前中は線路の西側を高沼用水路を見ながら、丘に上がったり谷に下ったりした。
さいたま新都心駅で目についたトイレマーク。
近づくとこうなる。
集合前にブラブラした。アニメの未来都市の雰囲気だ。ぼくは好きだけど。
広場で催しの準備。
ミーティング中。
出発。
駅を振り返る。写真右側のプラットフォームの下を高沼用水路の暗渠が流れている。
開渠となった。
小学校のグランドを暗渠でつっきって流れる。
こちらは中学校。
結構きれいな流れが続く。
道路の下は暗渠。
流れが細くなった。
高沼用水路とわかれて、丘の上の下落合氷川神社にお詣り。源頼義・義家ゆかりの神社らしい。
江戸緋寒桜と看板があったが、幹の感じから、エドヒガンザクラ(江戸彼岸桜)の老大木だと思う。
この神社の南側に、鎌倉時代、室町時代に三方を沼に囲まれた落合陣屋があったらしい。
丘の舌状の先端から低地に下りる。
ここで高沼用水路は2本に分岐する。
正面が西に向かう高沼用水西縁。左の道路下をくぐっているのが東縁。
この道路をくぐっている。
今日は東縁は水位調整で流れていなかった。
德川吉宗の時代(18世紀前半)に、見沼の干拓(新田開発)に続いて、現在のさいたま市南西部にあった鴻沼の干拓(新田開発)が行われた。真ん中に排水路としての鴻沼川が流れて、その東西に見沼用水西縁から引いた高沼用水東縁と西縁を流して、農業用水を確保した。
与野駅で昼食。またまた、パン好きでおまけに社交性のないぼくは 一人の昼食になってしまった。
与野駅の展示。近くの交差点に生えていたケヤキの老大木の写真。
以前に旧中山道歩きをした時に撮った写真。2009年3月29日だった。この時はまだ堂々とそびえていた。車の交通の障害になるので、伐採したらしい。
昼からは線路の東側を歩いた。
なんとなくいいなーと思った施設。
川跡の暗渠の道。
庚申塔。
看板の色、建物を見て、「かわっているなー」と思ったお寺。
裏庭の梅。
近くの学校の梅。
練習中のかっこいい女子選手。こがらなのにがんばっていた。
丘を下って、谷の方へ。
さっそく暗渠。
川の名前を忘れてしまった。きれいな流れだった。
谷に下りると用水路がたくさんある。
ふたたび丘に上る。見沼が近づく。
足立神社。
立派な木。葉がないのでよくわからない。
たまたま翌々日に街歩きで行った林芙美子記念館のこの木と幹の様子や枝振りが似ていたので、多分、同じと思う。カエデの仲間だ。
長い参道。
今はない「大宮市」の看板だ。
見沼跡の低地を見下ろす場所に来た。目の前の流れが見沼用水西縁。
このあたりから高沼用水路に取水しているらしい。現在は暗渠で西側のさいたま新都心駅方向に流れている。
西側のさいたま新都心駅に向かう。大邸宅があった。
造幣局さいたま博物館。
北袋天神社。
さいたま新都心。
暗渠となった高沼用水路の上の公園。
高沼用水路がさいたま新都心駅のプラットフォームをくぐっている場所。
上の写真のプラットフォーム上から撮った写真。公園の下に続く土管が見える。
おもしろい所を見れたし、歩いて運動にもなったし、で会長に感謝感謝で帰った。
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