2019年5月8日水曜日

金沢3日目5月4日(土)

 あっという間に最終日になった。今日も豪華朝食を食べに来た。
昨日の飲み物。
ホテル玄関を流れる用水路。石の擁壁の排水口は庭に汲み上げている地下水を排水している、これと同じ地下水が大浴場に使われているようだ。
 ホテルから犀川まで散歩することにした。まだかなーまだかなーと15分ぐらい歩いたら川に突き当たった。
駅前のJALホテルが見える、市内からの目印に最適。
 大豆田大橋の上から、白山方面を。うっすらと白山が見える。
 望遠で。
 犀川の上流側(南側)。壁みたいな鉄橋は新幹線の引っ込み線鉄橋、手前は在来線鉄橋。
下流側。
来る時は急いでいたのでゆっくり見れなかったが、網の目のような水路を見物しながら帰った。


  



 この水路は多分ホテル玄関横の水路とつながっている。
 手すり越しに。水量が豊富。
下流方向の流れの一つ。他の流れは暗渠化されているようだ。
橋の所で3本に分流されているようだ。
ホテルに帰って来た。
この向こうが多分さっきの水路につながっている。
 ホテル屋上からも白山が見える。
 JALホテルも見える。

チェックアウトして、ホテルバスで駅前へ。駅前にホテルのロッカーがあるので、そこに荷物を預けて、バスで香林坊へ、そこから「長町武家屋敷」へ。最近の観光地はかっこいい名前にこだわりすぎて、ここも地図類・看板類が「せせらぎ通り」となっているので、年寄りにはわかりにくい。

クロマツの老大木がある武家屋敷跡。子孫?が住んでいるようだ。

 九谷焼の鏑木商舗。中の陳列商品は所せましと並べられているので、接触しそうで早々に出て玄関で待つ。
 おもしろい置物。売り物なのだろうか?
もう一組あった。
 「せせらぎ通り」の名称の元になったと思われる用水路沿いを歩いた。古い建物が並んでいる、お店も多い。


 武家屋敷跡野村家、残念ながら建屋は豪商の屋敷を移築したものだった。



 30数年前にも来た記憶がある。

室町(戦国)時代の有名人から野村家当主への文書が数通あった。


 古い地図。


 金沢聖霊総合病院の修道院の教会。昭和6年にスイス人建築家の設計で建築。


 お祈りの場所の半分は畳の間だ。

 お昼ご飯を食べる予定の香林坊の「片町きらら」の方角に向かう。



 薬種商の建物を移築した老舗記念館。はいらなかったが公開していた。


上の写真のお店用水路端。かなりの流れだ。
片町きらら2階のイタリアンでお昼ご飯。感じのいい店だった。
早めだったので、7人一緒のテーブル。
食後はまず香林坊から近江町市場へメインストリートを歩くことにした。
 尾山神社。御祭神は加賀藩初代藩主前田利家公と正室おまつの方だ。創建は明治6年。徳川幕府の時代には、藩主を主祭神にする神社は遠慮しなければならなかったため、ほかの神社に配祀神としてお祀りしていたらしい。神門(楼門)がおもしろい、明治8年の建築。

 けっこう混雑して並んでいた。

 前田利家公の像。
ステンドグラスのような窓がすてきだった。
 行く予定にしていた「加賀てまり 毬屋」。てまりを作るキットや指ぬきを作るキットなども売っている。加賀てまり作りの実演もしていた。

 近江町市場。
予定していた江戸時代からのお店「紙文具 あらき」。
買い損ねたものがあると言うので、ひがし茶屋街まで歩くことになった。
古い建物が続く。


代々続く薬種商の建物。





昨日タクシーから見たお店。
 スッポンは撮れたが、マムシは光線のかげんでうまく撮れなかった。
お店はお休み日のようだった。


浅野川にこいのぼりが出ていた。
今日もひがし茶屋街は大混雑だった。おみやげの金箔細工を買って、バスで駅に向かった。
ぼくは人まかせでらくちんだった。リーダーは企画も案内もたいへんだったと思う。ありがとうございました。

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