2018年7月18日水曜日

桶川の街・里歩き7月15日(日)

埼玉スリバチ学会の「桶川宿・伝説の桶川祇園祭と荒川沿いの古道」に参加して、わいわい、がやがやとたのしく歩いた。
桶川宿で江戸時代から続く旅籠。

午前中は、お祭り準備に忙しい、桶川宿を見学:
 駅から旧中山道に出て、南東側(江戸側)に向かう。Pの看板の下に桶川町道路元標があった。
 桶川町道路元標に近づいて。
 古い雰囲気の家があちこち残っている。左側は魚屋さんらしい。
 お祭りの準備中。見て行ってくださいという事で見物してお話を聞いた。
 神武天皇像。金色の鳶(金鵄)が神武天皇を助けた話に基づいた像だ。この像は2代目で先代は桶川市歴史民俗資料館にあるとのことだった。
 淨念寺にあった板碑。


古い旅籠の武村旅館。現在もビジネス旅館のようだ。

 吹き抜けの廊下からの風が通って涼しかった。


古い家。
正面から。
江戸側の木戸のあった場所。ここから北西側(京都側)に戻った。
 島村家の土蔵。3階建てだが、トタンで補強してあるので見栄えはもう一つ。
 庭の隅。
奥の家にも蔵が。
この家は 曳家をして、道路から奥へ下げていた。道路に面した所を広場にして、お店でも始めるのだろうか。
小林家住宅。ここも元は旅籠だったらしい。上下の写真。
現在は材木屋さんのようだ。
矢部家住宅。穀物問屋で紅花商人でもあったらしい。お祭りの準備で忙しそうだった。帰りに、ここに居た姐さん風のおばさんに十数人でいっしょに食事できるうどん・寿司屋さんを紹介、予約してもらった。感謝感謝だ。
ここには関羽の像があった。
 中山道宿場館にはいって、説明を受けたり、地図をもらったりした。ここから3枚の写真。


ここにもさっきの獅子頭が用意されていた。
 以前の埼玉スリバチ街歩きで行った箭弓稲荷神社への道標。立派な石柱。

 街道筋には種屋さんが必ずある。
 せっかくの建物なのに看板建築になってしまっていた。

京都側の木戸のあった場所。
 木戸跡付近のよくわからない建物。長屋門を改造したのだろうか?
一筋奥まった所にある稲荷神社に向かう。これも種屋さん。

 稲荷神社境内にある祠。

稲荷神社。
紅花商人達の信仰が厚かったようで、2基の石灯籠が寄進されていた。

駅付近に戻る。大きなお屋敷内の祠だったらしい。

この後、みんなでそろってお昼ご飯を食べて、桶川駅からバスで熊野神社前に向かい、午後の部にはいった。

熊野神社バス停で降りる。

 熊野神社は古墳の上にある。
 荒川の左岸二あって、古くから栄えていたことがわかる。
出土品が最後に行った桶川歴史民俗資料館に展示されていて、すばらしかった。
 樋詰氷川神社の道標。荒川の渡し場への道しるべでもあったらしい。荒川の左岸に位置する。
境内の庚申塔。
左岸沿いに上流方向に向かう。ヒエ(稗)だろうか?アワ(粟)かもしれないが?上下の写真。

 オクラ。
庚申塔。さっきの庚申塔と似ている。
荒川の向う側にあるホンダエアポート。結構、頻繁に離着陸していた。



 これは見ているだけでひやひやする。飛行機で上空へ行って、そこから飛び出して、降りてくるようだった。



 泉福寺。荒川左岸に建つ立派なお寺だった。
馬頭観音。大きい。中山道、荒川の舟運、船着場(河岸)などがあり、交通の要害だったので供養のため立派なものが祀られたのだろう。
 堤防の下のお家。最近のテレビニュースの影響で、感じのいいお家だが、安全なのか心配になる。
現在のホンダエアーポートも含めて、戦争遺跡だ。

 城山公園で今日の遊具の写真を撮った。ここでは三ツ木城跡(私有地)を外側から眺めた。
 紅花の枯れたもの。収穫して染料にするのではなくて、観光用に花を観賞するための栽培のようだ。
 桶川市歴史民俗資料館にはいった。これは午前中に観賞した神武天皇像の先代の像。ここにおさまっている。
 みんな暑さで疲れてしまったので、資料館の冷房で休んだ後、ここで切り上げてバスで桶川駅に帰ることになった。退屈なので資料館のまわりで昆虫探し。きれいな蝶々がいた。帰って調べたら、アカボシゴマダラだった。中国大陸からの蝶々で侵入生物に指定されていた。関東では最近は普通に見かける蝶々らしい。
 参加者の一人に誘ってもらって、近くの富士塚に行く。外見からはたいしたことないなーという印象だったが、草に埋もれていろいろな石造物があった。
ちゃんと整備すれば、都内で有名な富士塚に負けないものになる。
道路にあった看板。

この後、集合してバスに乗った。みなさんは桶川祇園祭のお祭り行事を見に行ったが、ぼくは人混みが大の苦手なので帰った。
ひさしぶりの埼玉で、たのしく過ごせた。会長と参加者のみなさんに感謝感謝だ。

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