2019年3月4日月曜日

越生(埼玉県)里歩き3月2日(土)

埼玉スリバチ学会の「越生Ⅰ・越生の石たちと梅林村の梅」に参加した。
 ハイキングで有名らしく、東武東上線の支線でワンマンカーが走っている越生線の終点で不便な駅だけれどハイカーがたくさん乗っていた。JR八高線(八王子=高崎)の駅でもあって、今では珍しいディーゼルカーが走っている。

太田道灌のNHK大河ドラマ実現の署名も行われていた。
 最初に行った報恩寺。行基の創建、その後、生越氏が源頼朝の支援で伽藍を創建したと言われる。


 背後の竹林がきれいだ。現在はすごく田舎で人口も1万人強の越生町だけれども鎌倉、室町、安土桃山時代には栄えていたようだ。秩父山地の東縁の交通の要害だったのだろうか。
 越生神社。背後の丘に生越氏→太田氏(太田道灌とその父親)の高取城跡がある、登らなかったが。
境内の、足腰の神様、子ノ権現。



 境内のお稲荷さん。
高取城跡の高取山への登山口。富士講の石造物。
 正法寺に向かう。
鎌倉時代創建、室町時代に足利尊氏が中興したお寺。
地元に父の所領があった幕末の偉人、山岡鉄舟が献じた山門の扁額。
 ここも丘の麓にある。



 ミモザ。
 ウメ。
 越生町役場。
保存されていた昔の郵便局の門に頭がつかえるかを検討中。
 岡崎薬師堂。生越一族の岡崎氏の鎌倉時代の居館跡と言われている。

 巨大なセミのオブジェ。

 道路の向うは越辺川の河岸段丘になっている。ぽつんとクスノキが茂っていた。
 小学校の横断幕。こういうものがあるのを初めて知った。
 低学年生の練習。
 梅の実の産地なので畑のウメがきれいだ。

 越生一族の黒岩氏の居館跡。
 石造物が集められている。
 今日はじめての遊具。
 五大尊明王の祠のある公園からの景色。正面の山の斜面が段々に削れているところはクロム原石の採掘跡、後程、見学する。


五大尊明王の祠。
 最近、奉納された剣の像。
 横から。
 裏から。かっこいい。
 違う道で降る。
仏教の茶枳尼天の祠らしい。神道ではお稲荷さんの祠にあたる。だから、稲なんだと納得。
養蚕の神様でもあるので繭が壁の両側に献奉されていた。

この公園はツツジの名所らしい。
 帰りにさっきの遊具の隣の遊具でも記念撮影。
 カエル。
 後程、越辺川からの取水口に行く用水路。水がきれいだった。

製材からやっている材木屋さん 。
 昔風のトイレ。ちょうどはいって行く人がいた。
こんなのもあった。
広い敷地だ。
 こぎれいな事務所。
上黒岩バス停からバスで越生梅林に行った。時間待ちの間にお勉強。
 梅林の横を流れる越辺川で遊ぶ家族。

 入口の庚申塔。

 ウメの根元にはフクジュソウ(福寿草)が咲いていた。

人気だった機関車。

 このあたりには白梅ではない花も咲いていた。
 この木が老大木らしかった。上下の写真。

 桜のお花見と同じ雰囲気だ。


 梅林でお昼タイムだった。みんな三々五々ぶらぶらしながら、食べていた。ぼくもあちこちとお菓子類を買い食い。

梅林を後にして、再び歩きはじめた。
越生梅林は、「推測だが、梅の実を収穫する白梅」がメインの植樹ようだった。そのため、思っていたよりも地味だった。白梅ということであれば、この後、里歩き中に見た梅畑の白梅の方が手入れが行き届いていて、見事だった。
梅林のすぐ近くにある梅園神社。裏の斜面に、照葉樹であるスダジイの野生林があると書いてあった。関東では、海岸線以外での、クスノキなどの照葉樹林はめずらしい。見回してみたけれど、どこがそうなのかはわからなかった。



 梅畑。


はでな格好での撮影。

 ユズ?
 実が採りやすいように低い目の剪定。


越辺川。水がきれいだ。

最勝寺。源頼朝の命により創建。 有名な漢方医、田代三喜(1465~1544年)のお墓もある。








 梅と菜の花。
 越辺川の江戸時代の水車の跡。左の導水路から水を流していたらしい。
 太田道灌の父、道真の居館があったと言われる場所。その後、道真が暗殺された道潅の菩提を弔うために建康寺を建てたと言われている。背後の丘の中腹にいわくありげな祠が見える。



祠へは足元の悪い急坂を登る。

石垣上からのぞいたら、怖かった。武者返しのように反っていた。

 祠の裏側。




 左側:出羽三山(羽黒山、湯殿山、月山)。右側:馬頭観音。

 上の写真の右側。
 左側。
円通寺。江戸時代開山。
 顔出し写真を撮ろうとしたが、画用紙の絵が貼ってあった。
隣の「うめその梅の駅」で休憩、昼食と特産品(梅、柚子)のお買いもの。ぼくはまんじゅうを食べたのみ。
 この梅畑はきれいだった。

 官舎付きの駐在さん。
ここの小杉バス停から黒岩バス停へバスで行く。
さきに上黒岩バス停の手前で見た用水路に越辺川から水を供給している場所。
 この方向に流れて行く。


 聖徳太子の石造物。
 馬頭観音と庚申塔。
 さきに五大尊明王の祠近くから眺めたクロム採石場の跡。現在は倉庫会社?の敷地内。
 越辺川岸から急な階段を上がって、金比羅様(琴平神社)へ。

 帰りはなだらかな坂で。
蛇紋岩の露頭を見に行く。近道のため川を飛び越す組にはいったら、少し靴に水がはいった。
 石の採取。なかなかいい標本が採れない。ぼくはよくわからないし、破片が飛んでくるしで、遠巻きに見ているだけになってしまった。


ほとんどの人達は興味津津でもりあがっていた。
越生駅近くにもどって来た。
 こんなに増やしていったのだろうか。
 8世紀末。坂上田村麻呂の創建と伝わる。
 大黒様と恵比寿様が祀られていた。だれかが置いて行ったのだろうか?


 興禅寺へ向かう。


鎌倉時代末、室町時代初めの「建武改元」 の記事を持つ板碑がある。



 大事にされている庚申塔。

 手入れされている桑畑。近くで養蚕が行われているのだろうか。
 座布団の上に座っているねこちゃん。


 山吹の里公園に登る。相当な急勾配。川向うに越生駅が見える。「山吹の里」については、いままでに豊島区の2ヶ所と新宿区の1ヶ所に行ったので、ここで4ヶ所目だ。

 アリのオブジェ。
八高線のディーゼルカーがやって来た。入社した頃、京都ー舞鶴間は、蒸気機関車→ディーゼルカーに移る時期だった、両方ともよく乗った、発車の時の音が懐かしかった。
 通りすぎて行った。いつかこの路線に乗ってみたい。
ぼくは東武線で帰った。
たいへんたのしい里歩きだった、会長、みなさん、ありがとうございました。






0 件のコメント:

コメントを投稿