「関東平野の凸歩き!行田・古墳編~佐間、埼玉、若小玉古墳群」に参加して、里歩きをたのしんだ。たくさんの古墳を見学した。
JR吹上駅に集合。
おもにここを見て歩く。
新宿駅で湘南新宿ライン籠原行を待っている間に。
駅からバスで近くまで。
神明社。
はじめて見つけた型板硝子、「いろり、セントラル硝子、1975年」。
佐間にある古墳。大日塚古墳、円墳、6世紀前半。
鎌倉時代に古墳の頂上にたてられたらしい。これはレプリカで本物は行田市資料館にあるらしい。
夏の終わりの雰囲気。
古墳群に近づく。
この林にかたまっている。
さきたま史跡の博物館にはいる。見ごたえがあった。
以前の状態。真ん中の二子山古墳の堀にみずがたまっている、現在は水なし。
たくさんの発掘品が展示されているが目玉はこれ。ワカタケル大王の存在が確かめられた。ワカタケル大王は古事記・日本書紀の雄略天皇、宋書の倭王武だと考えられている。
江戸時代の農家が移築されていた。
瓦塚古墳。6世紀前半。
瓦塚古墳の端から見ると向うに住宅や違う古墳が見える。
鉄砲山古墳。6世紀後半(中頃?)。
鉄砲塚古墳の隣にあった正方形の盛り土、方墳だろうか?看板はなかった。
奥の山古墳。6世紀後半(中頃?)。
中の山古墳。6世紀末から7世紀はじめ。
たぶん、奥の山古墳。
いったん公園を出て、前玉神社・浅間神社(浅間塚古墳)に向かう。
オクラ。
参道でお昼寝中。どこでも人気で人だかりが出来る。
1997,98年の発掘調査で円墳であることがわかった。7世紀前半。
1676年建立の古い鳥居。「富士山」の額が掛かっていた。
樹齢600年の御神木イヌマキ(槇)。
この後、三々五々昼食。ぼくは吹上駅前のコンビニで買ったパンetcを食べた。
愛宕山古墳。
一番大きい二子山古墳。
将軍山古墳。6世紀後半。
後円部の地下が将軍山古墳展示館になっていて、石室の様子が再現されていた。
稲荷山古墳。5世紀後半。鉄剣が発見された古墳。前方部は土砂採取のために削り取られていたが復元された。
古墳上に上れる。
上った。西隣の円墳、丸墓山古墳、ここも上れる。
東隣りの将軍山古墳。
後円部から前方部を見る。
稲荷山古墳をあとにする。
丸墓山古墳。6世紀前半。上った。
小田原征伐の際に石田三成の陣があったと言われている。
頂上からは説明看板のとおり忍城跡が見えた。真ん中右寄り。
公園部分を後にして、北側の古墳に向かう。公園部分のようには整備されていない。
中央が白山愛宕山古墳。円墳。5世紀末?6世紀中頃?右後方の太陽光発電パネルの後ろは神明山古墳。
神明山古墳。円墳。6世紀。
白山古墳。円墳。7世紀前半か。上には白山姫神社がお祀りされている。
石室の壁材と推定される緑泥片岩。
成就院境内の三重塔。
境内の双体道祖神。
取水口の辯天門樋。明治38年(1905年)竣工。深谷で製造された煉瓦が使われている。
一休みのために古代蓮の里に向かう。江戸時代、木綿の産地であったこのあたりで足袋の製造が盛んだった。一時は全国の大半を製造したらしい。足袋の保管蔵がたくさん残っているとのこと。
田んぼアート。見物用の塔は混んでいて上らなかったので、ベンチの上から見物。ラグビーの日本代表を応援する模様になっていた。
工業団地の中にある若小玉古墳群に向かう。田畑の中を延々と歩く。
八幡山古墳石室。7世紀前半。昭和の初めに埋め立てのための土砂をとるために円墳を崩したところ現れた。時間が遅かったからか、門が閉められていて石室にははいれなかった。
このあたりに多数あった古墳の中心的な古墳だったらしい。
地蔵塚古墳。方墳。7世紀中頃。頂上に地蔵堂が祀られている。
石室には線刻画が描かれているため非公開。
この後、バス停に向かい、吹上駅にもどった。ちょうど湘南新宿ラインが来たのでそれに乗って帰った。たくさん歩いたが、たのしい見物だった。
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