真鶴半島の街歩き、里歩きに参加した。20名弱でワイワイガヤガヤと歩きまわり、おいしい魚料理のお昼ご飯や人によってはビールを味わった。
まず、このロマンスカーで小田原駅へ、乗り換えて、真鶴駅へ。
最初の写真もそうだが、駅員さんが声かけをして、シャッターを押すサービスをしてくれていた。
もうすぐ小田原駅、富士山がきれい。
歩きはじめる。このあたりは、平安の昔から石が特産品。石工祖先の碑への入口。
これがその碑。丘の上にある。
駅の方向。
近くの別荘風のお宅。手入れが行き届いている。
丘の向うに海が見えた。うれしくなる。
兒子神社(ちごじんじゃ)。木地師が信仰する惟高親王ゆかりの神社。
石の穴に生えた木。
となりの龍宮神社。
木々の向うに海が見える。
平地が少ない町。
瀧門寺。本堂、庫裏、鐘楼は18世紀の茅葺屋根の建物。
門前の小川にイトトンボがいた。
切り立った小さい丘の上にふしぎな祠があった。
狛犬の位置には、天狗像が。
異界の雰囲気の場所だ。
如来寺跡にある石窟。
閻魔様はじめ石仏が安置されている。
海辺(岩海岸)に出た。休日で磯遊びと魚釣りの人達がいた。源頼朝が千葉方面に船出した所と言われている。
多分、昭和初期の別荘だと思うが、だれか住んでいるのだろうか。
こちらも同じ様式だ。手入れして住んでいる。
鈴をつけた人なつっこい猫。
つりはなぜ禁止なのだろうか。漁業権か? 守られていなかったがーーー。
ハマヒルガオ。あちこちに咲いていてきれいだった。
丘に上る。
謡坂の頂上。源頼朝が石橋合戦で負けて、ここまで逃げ延びて来たので、頼朝方の武将、土肥実平が再起を祝って歌い踊った場所らしい。
ここからは向うに海と房総半島が見える。
久しぶりに見たトベラの花。暖かい海岸に多い木だ。
コミュニティ真鶴(町のコミュニティーセンター)の桜の大木、たくさんの寄生植物が生えていた。貫禄がある。
なんなんだと思ってよく見たら、消防署の車だった、納得。
Y字路は印象に残る。
真鶴(魚)港に到着。
鵐窟(しとどのいわや)。源頼朝が隠れていた時代には海に面した崖にあるおおきな洞窟だったらしいが、その後、崩れたり浸食されたり、道路が出来たりでこういう風になったらしい。
このあたりにいっぱいあるお店に分散して昼食。どのお店でも食べきれないほどの魚料理が出て来たとのこと。ぼくも煮魚定食にしたが、おいしいし、量も多いし、で大満足。
下の写真の方に向かう人。
この二人は夫婦だろうか?
食後、御林・魚つき保安林に向かう。「おはやし」と読むらしい。
江戸時代、明治時代から保護されて来たらしい。りっぱな森林だ。
半島先端の三ツ石海岸に到着。この崖に採石跡があるらしい。
望遠×24で。
トベラ。
島影に隠れているかのように見える護衛艦。
三ツ石。
カモメが追いかけていた。
丘の上のケープ真鶴へ。潮が引いていればつながることがよくわかる。
さっきの護衛艦。丘の上から。
観光施設でソフトクリームを食べたりして、休憩の後、街方向に行くバスに乗る。
そのまま帰る組と駅反対側の海岸で降りて丘を越えて駅まで散歩する組に分かれた。
丘の上から海を。
崖の上の家々。
吠えまくっていた犬。
せっかく下りたのにまたまた上って来た。下に駅がある。
望遠で。
愛嬌のある犬。メンバーに大人気だった。
飼い主はボランティアガイドさんだった。話を聞く人達。
いいなあー。
平安時代のものと言われているらしい。城に詳しいメンバーは疑問視していたがーーー。
この後、駅に下りて解散。ぼくはめずらしいことに懇親会に参加。魚がおいしかった。サザエのつぼ焼きを久しぶりに味わった。
一人になってしまったが、小田原でわかれて、これで帰った。すいていたので、のんびりできた。
たのしい一日だった。世話役さん達に感謝感謝だ。
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