2019年12月23日月曜日

北区・川口市の街歩き12月19日(木)

荒川、隅田川、新河岸川、芝川の合流点あたりと志茂・岩淵町・川口市の古い街並みをぶらりぶらりと案内してもらった。戦前まで農業と伝統的な産業を中心として栄えた地域の名残があって感慨深かった。
「昭和の散髪屋さんだ」というお店。今は製造されていない型板硝子の使い方もしゃれている。
新河岸川を渡って、荒川知水資料館に向かう。

 資料館を見学する前に、目を引く旧岩淵水門(赤水門)に行く。

 (新)岩淵水門(青水門)、現在はこちらが使われている。台風十九号の時にここが閉められて、都内の下流域が水害から守られた。
望遠で。
 赤水門ものところからが現在の隅田川。右側の流れが大正時代に造られた放水路、現在の荒川。
 荒川の向うの川口市。
 赤水門、1924(大正13)年完成。現在は使われていない。



資料館入口のおもしろい看板。
台風十九号の時の様子。上が平常時、下が台風十九号時。

いろいろな資料や荒川放水路工事に関する事柄が展示されていた。
 新河岸川の南、北区志茂の黒田機器の建物。外国人の持ち物だったのを買いとって、移築して、事務所・作業所として使っているらしい。維持管理されていて、「現役です」と言う感じがした。戦前の建物。


岩淵八雲神社前の電線に並んでいるユリカモメ。

庚申塔。この道が古くからあったことがわかる。岩淵町。
 岩淵町の公園で。みんなでかわるがわる乗ってみた。

岩淵町の使われていなさそうなお店。古い型板硝子の使い方がうれしい。
 岩淵町の庚申塔。
岩淵町の看板建築。
この後、バスで川口市に移動して、お昼ごはんを食べた。
昼食後は川口市を歩いた。まず、旧田中家住宅の見学。明治時代の建物らしい。味噌醸造を家業とした地元の名士の邸宅跡。以前には醸造所が邸宅の周りを囲んで建っていたらしい。

 周りを囲む醸造所も描かれている。
芝川の河岸までが敷地だったようだ。後方に今も残っているメインの建物、手前は舟運による出荷。






 錫杖寺境内の庚申塔。日光御成道の川口宿のお寺で德川将軍の日光参拝の折には休息所として使われていたらしい。
 川口市立文化財センター。昔のいろんなものが展示されていた。キュウーポラの街川口特産の鋳物類も多かった。
かすかに子供の頃の記憶にある荷車。
 増幸産業(マスコウ)の工場にあったマスコット。機械製造業、江戸末期には18ポンドカノン砲を鋳物で200以上製造した。
工場に展示されていた18ポンドカノン砲の復元品。
 いっぷう変わった電柱。現役だ。


荒川堤防沿いの家。上下の写真。

 荒川堤防沿いの公園で。

「(株)永瀬留十郎工場」の表札が掛かっていた。伝統ある鋳物屋さんらしい。ネットによると現社長は東大工学部卒らしい。

 旧鋳物問屋鍋平別邸。

 フクロウのようだ。

 洗面所、便所の入口の細工。
 便所の窓。
これも便所の窓。
庭の東屋。
 長いレンガ塀。
歴史がありそうな薬局。ネットでみるとどうも現役らしい。上下の写真。

 看板建築。

 朝、北区志茂で見かけた散髪屋さんとよく似ている川口市のお店。型板硝子の使い方がうれしい。
川口神社。昔の狛犬、次の代の狛犬が参道にあった。
鋳物の街のドンキホーテ像。
ここで解散。ぼくは懇親会には出ずに帰った。見所満載でたのしかった。ありがとうございました。