2020年2月20日木曜日

西部下山口駅→所沢駅の里歩き2月15日(土)

埼玉スリバチ学会の「狭山丘陵と柳瀬川河岸段丘 所沢の古道、境界」に参加した、埼玉スリバチ学会の行事に参加するのは久しぶりだ。
集合場所に早い目について、駅のベンチで菓子パンの昼食。
 西部狭山線は単線だ。
 本数は結構多くて、乗降客も多い。
 ホーム前の変わった家。鉄板張り?
隣の終点駅の方向、西部ドームが見える。

あちこちにある梅が見ごろだった。
 梅の老木が結構ある。
最近見なくなった風景。
 荒幡の富士塚。

 うっすらと富士山が見えたので、みんな大興奮。反対側にはスカイツリーも小さくだが見えた。
ひだりの建物の右に富士山が見えるのだが、ぼくのカメラではこれが限界。右には西武ドームが見える。
望遠の倍率を上げるとかろうじて見えた。
埼玉スリバチ学会会長が撮影したもの。高級カメラで加工済みなので目で見たとおりだ。
 登り口近くの祠。
 狛犬の位置に男の像がある。仲間の人たちが「こまおっちゃんが居る」と話していたが、この像のことだった。たしかに、たしかに!
 左側の石神は、アメノウズメノミコト。
 右側の石神はサルタヒコノミコト。
 こちらは狛犬。

 この地域の神社を明治になって合祀して、荒幡浅間神社となったらしい。その時に境内に富士塚も長期間かかって村民みんなで造り直したらしい。
 狭依姫尊はイチキシマヒメ。
 ネットでもわからなかった神様。
この丘陵地区を気持ちよく歩いて、次に向かう。
 烏骨鶏。
裏側から鳩峰八幡神社にお詣り。
 新田義貞は太田市あたりにあった根拠地、新田の荘から南下して鎌倉を攻めたので、このあたり一帯は通り道で戦場となった。
 境内の絵馬。稲村ケ崎の新田義貞ゆかりの絵だろうか?
 神楽も奉納されている。
丘を登ってくる長い参道。
こちらが正面。
 仏眼寺境内の庚申塔。
 1789年。

 隣の二十三夜塔。
1820年。

 八国山公園の東京都東村山市側の看板。
右側は埼玉県所沢市の看板。向こうに見えるのはさっきの看板。奈良時代には、このあたりを横切って東山道武蔵路が通っていた。

 将軍塚。合戦の際、新田義貞が拠点にして、旗を立てたらしい。この丘の下には後で行った久米川古戦場跡がある。「元弘の板碑」もこのあたりに立てられたらしい、現物は後程、徳蔵寺で見学した。
 クマザサがきれいだ。
 露頭の調査中。

この後、徳蔵寺に向かう。このお寺には立派な板碑保存館がある。
 元弘の碑はじめたくさんの板碑に圧倒された、写真は撮らなかった。これはこのあたりの村落の古図。自分の支配範囲を表しているのだろうか。

 うれしくなる。
 久米川古戦場跡。目の前の丘に先ほどの将軍塚がある。

 戦場にゆかりの地名。



 中学校校庭の東山道武蔵路の遺跡あたりを見に行く。
埋め戻されて、運動場になっている。
西部の新しい特急が通った、急いで撮った。後ろ姿をとらえることができた。この後、鎌倉街道上道をたどる。
野老山実蔵院。野老はヤマイモ科の植物で食べられていたらしい。ずっと昔は、所沢は野老沢と表記されていたらしい。
 所沢神明社。ヤマトタケルノミコトゆかりの神社と伝えられる。
 参道。
 薬王寺。新田義貞の子供で南朝方武将であった新田義宗ゆかりと言われている。
 街中には珍しく夕刻の鐘つきがされていた。
綿糸商の秋田家の商店兼住宅の建物。明治後期のもの。


駅の手前にあった。
この後、駅で解散。いつも通り懇親会には出ずに、所沢駅からまっすぐ帰った。たのしかった。