2020年5月14日木曜日

思い出、海外出張、欧米


思い出、海外出張、欧米


現地着日   現地発日 日数  場所
20021009(水) 1011(金)  3  フランス・パリ、スペイン・マドリッド(日本無機)


20030124(金) 0127(月)  4  USA・ホノルル


20030511(日) 0516(金)  6  UK・セントへレンズ、ロンドン、フランス・パリ


20031115(土) 1119(水)   5  USA・ニューヨーク


20040215(日)   0219(木)  5  フランス・パリ、スイス・チューリッヒ


20040228(日) 0303(水)  4  USA・ニューヨーク、ピークスキル


20051031(月) 1103(火)  4  スイス・チューリッヒ、ベルン、ルツェルン


20060212(日) 0215(水)  4  UK・ロンドン


20060506(土) 0508(月)  3  ドイツ・エッセン


20060709(日) 0705(土)  7  USA・ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ


20060723(日) 0725(火)  3  UK・セントヘレンズ


20060820(日) 0823(火)  3  UK・ロンドン
 
20060919(火) 0922(金)  4  フランス・パリ、スエーデン・ハルムスタード


20061106(月) 1110(金)  5  UK・ロンドン


20061211(月) 1214(木)  4  スペイン・ヴァレンシア


20070212(月) 0216(金)  5  USA・トレド


20070312(月) 0315(木)  4  UK・セントヘレンズ


20070515(火) 0518(金)  4  UK・ロンドン


20070716(月) 0720(金)  5  ベルギー・ブラッセル、UK・ロンドン、
                 フィンランド・ヘルシンキ、ウロヤルヴィ
20070909(日) 0915(土)  7  UK・セントヘレンズ、ロンドン、
                USA・レキシントン、シェルビビール、レースロップ
20071105(月) 1108(木)  4  UK・セントヘレンズ、イタリア・ローマ、サンサルボ


20071210(月) 1013(木)  4  UK・ロンドン

20080311(火) 0314(金)  4  UK・セントヘレンズ


20080513(火) 0516(金)  4  UK・セントヘレンズ

   7年間          合計             105  

2008年6月に退職。

 2004年2月にスイスの会社の案件ではじめて、スイス・チューリッヒに行った。その時に泊まったホテル。
 
2005年11月。スイス・ベルン。その案件の調印式。日本側は当社を代表に他2社が関係者だったので気を使った。
2007年3月。UK・セントヘレンズ出張時の定宿。
 朝ごはんはホテルのレストランで、田舎だからか感じがよかった。
街並み。ローマ帝国の砦に起源があり、古い街だ。街を囲む城壁が遊歩道になっていて、何回か歩いた。      

2020年5月13日水曜日

思い出、海外出張、プロジェクトSHARP、主としてUSA


海外出張、プロジェクトSHARP、主としてUSA

現地着日   現地発日 日数 場所
19951012(木) 1020(金)  9    USA・レキシントン、デトロイト、エル・セントロ、
                   サンディエゴ 
19951206(水) 1214(木)  9  USA・レキシントン、デトロイト

19960211(日) 0217(土)  7  USA・レキシントン

19960226(月) 0302(土)  6  USA・エル・セントロ、サンディエゴ、
                   レースロップ
19960511(土) 0523(木)   13  USA・レキシントン

19960614(金) 0623(日)     10       USA・レキシントン、トレド

19960713(土) 0712(金)       7  UK・ロンドン、USA・レキシントン

19960805(月) 0809(金)       5  USA・レキシントン

19960911(水) 0921(土)   11  USA・トレド、レキシントン(今回からアパート泊)

19961014(月) 0926(土)     13  USA・レキシントン、エル・セントロ、ラキンタ

19961119(火) 1217(火)      29       USA・レキシントン、レースロップ

19970109(木) 0221(金)      44    USA・レキシントン

19970305(水) 0527(火)      84       USA・サンディエゴ、レキシントン

19970609(月) 0627(金)      19       USA・レキシントン

      3年間  合計  266 

今回はPCで一覧表を作った。

この一連の海外出張は、同じ事業部で赤字合弁会社の支援プロジェクトを立ち上げた
取締役の人から声を掛けていただいたことによる。
合弁相手の会社との合同のプロジェクトだった。
ぼくの担当は、「現場力」みたいなものをつけることによって、コストダウン、
品質向上を目指すみたいなことだったが、技術屋ではないので製造技術ではなく、
現場の行動力をつけるというようなことを目指した。
安全衛生、5S、TPM、朝礼、交代勤務の直間の引継、改善提案なんかをキーワードに
して、工場長以下工場のトップ10を現場に引きずり出すことから始めた。
工場長は現場のチェックは部下の仕事だと言って、現場に出ないので、「毎朝ぼくと
一緒チェックにこなかったら首にする」と脅してしばらく連れまわした。
そのうちにトップ10はじめ、現場の人達から工場長への報告や雑談がすごくふえて、
感謝されることになった。
しかし、ぼくのやっていることの効果は目に見えないし、数字で示せるわけでもないので、
事業部からは評価されないだろうなーと思っていた。
仕事が代わって何年も後で知ったのだが、当時この会社に出向していた優秀な社員が、
ぼくがしゃべった5Sの内容を英語の小冊子にしてくれていて、これが全社の海外業務で
使われていたこと、当時の工場長以下の幹部の数人が日系の製造会社の幹部に転職して
いたこと、の2点で効果があったのだろうと推測することはできた。
3年間は駐在ではなく、長期出張ベースで行ったり来たりの生活だった。終わり掛けの頃
には疲れてきて、次は、国内で小さな会社に出向して定年かなーと思っていた。
さきの取締役の人が強く推薦してくれて、1997年7月1日付で人事部長になった、びっくり
だった。もつべきものは、いい上司だなーと、この人と幸運に感謝した。

人事部長の間には海外出張はなかったので、次は2002年から退職までの欧米出張をまとめる。

仕事は英語力のせいもあって、しんどかったが、工場はこういうのんびりした場所でいやされた。
199602玄関前。
199605には、子供連れでぞろぞろ歩いていた。

2020年5月12日火曜日

思い出、海外出張、アジア

まず、資料からアジアを集計した。PCにインプットか手書きか迷ったが、たまたまこのホテルの便せんがあったので手書きにした。
昨日、投稿して書いた、初めての海外出張のインドネシアの調査は商社の人が優秀だったので、無事に2回で終わって、全社挙げての大規模工場建設プロジェクトとして引き継がれた。ぼくたちの出番はなくなった。しかし、残念ながら2年後ぐらいに中止になっていた。
インドネシア・ジャカルタ近郊の田舎のバス停。小学生や高校生?の雰囲気が日本とよく似ていた。インドネシアは居心地のいい国だった。
 次の海外出張はパキスタン・カラチだった。小型の工場建設の調査だった。この時は先の商社の人に加えて当社の技術屋さんも加えた10人ぐらいのメンバーだった。ぼくは途中で仕事が代わって外れたが、パキスタンは政情が安定せず、経済成長もせず、ずっとたってから中止になったようだった。街中でもラクダに乗って移動している人が結構いておどろいた。
こちらはロバ。
 ぼくが出張していたころも政情不安定で銃撃があって外出自粛があったり、夜中に遠くでヘリコプターからの曳光弾が見えたりした。ピックアップトラックに機関銃を据え付けている。
隣を走る機関銃付きの車。
工場の候補地を見に行ったりするときはガードマン付きだった。AK47をもっているが突っかけを履いていて、気楽に構えていた。どのガードマンもだいたいこういう感じだった。
海外出張にも慣れてきたころ、ベトナム・ホーチミンの工場用地取得許可をベトナム当局からもらう折衝を担当した。共産主義国で土地はすべて国有 、許可をもらって使う。国、地方のお役所や地方の共産党本部に何度もお願いに行った。その工場の竣工式。習慣的な行事らしいが、日本とよく似ていた。


ほかの国でも製造技術の指導・貸与に関することがらの折衝が多かったがシンガポール、香港ではIR活動も担当した。
入社して27年間海外に関する仕事を担当することになるとは考えたこともなかった。
次の投稿はUSAの子会社立て直しの海外出張にする予定だ。

2020年5月11日月曜日

思い出、海外出張

コロナ自粛で、思いついて、ほったらかしにしている現役時代のファイルを整理する(ほかす)ことにした。しかし、いざ目の前にするといろいろと思い出があってほかすにはかなりの心のエネルギーが必要だった。そこで、まとめのブログを書くことにした。

まずは、この「海外出張」のファイルから。
1968年に大学を卒業して会社員になってから、40年間同じ会社で働いた。英語を使う仕事は1994年まで27年間担当したことはなかった。突然、インドネシア・ジャカルタに合弁で工場をつくるための調査のリーダーを命じられた。リーダーと言っても当社の人はぼく1人で商社の人が1人の合計2人で心細いこと限りなしだった。
これは、会社生活最後の海外出張の持ち物チェックリスト。1994年11月~2008年5月まで何回も海外出張に行くことになったので、途中からは毎回こんなメモを作ってじみに荷造りをした。

2020年5月1日金曜日

善福寺川緑地のオオタカ4月16日(木)~7月27日(月)

散歩のたびに見に行っているけれど、なかなか見ることが出来ないし、双眼鏡でしか見ることが出来ないこともある。ぼくのカメラは自動焦点のみなので、枝が多い所にいるとそちらに焦点が合ってしまい、うまく撮れない。高級カメラ軍団の近くはいい場所なのだが三密なので、近づかないことにしている。
今年は4月2日、9日と個別に投稿した。4月16日以降はひとまとめにして、追加していく。

4月16日(木):
 木のてっぺん近くであたりを見回していた。



4月30(木):
ぶらぶらと善福寺川緑地の川沿いを歩いていた。コロナ自粛で誰もいな野球場の芝生でツグミが10羽ぐらい地面を突いて餌をたべていたので、金網越しにすぐ近くでながめていたら、塊が降ってきてハッとしてよけた。オオタカがツグミを1羽、わしづかみにして飛んで行った。大急ぎでオオタカの林に向かった。
人のいないところで見つけられた。


高い木の上でさっきのツグミを食べているようだ。


かろうじて引きちぎっているのがわかる。
双眼鏡で2,30分観察した。ツグミの羽が風に流されて飛んでいくのが見えた。かわいそうにと感じた。ぼくは、他人が処理して、きれいにカットされていたり、包装されていたり、さらには調理されていたりの肉を食べているが、ほんらいはこうして自分で捕ってきて、むしって食べないと生きていけないのだった。


6月7日(日):
このところずっと双眼鏡で見ても空振りだったので、順調に育っているのか心配していた。
雛に給餌中の後ろ姿を見ることが出来た。




6月15日(月):
 はじめて、雛を見ることができた。今年は1羽のようだ。



 うれしくて、何枚も撮った。
拡大してみると左上の枝に親がとまっているのがわかる。

6月23日(火):
 散歩ルートでは巣の北側に着く。給餌中だったのでおおいそぎで南側から雛とともに見ようと行ったら、親が飛び立つところだった。雛は巣に潜り込んで見えなかった。
 親が近くの木にとまっているのを見つけた。しばらくして飛んで行った。

常連さんは数時間観察しているとのことだった。毎日、1日中の人もいるらしい。

6月30日(火):
 やっと雛を見ることができた。おなかの部分が茶色だ。
近くの枝をちょこちょこと渡り歩いていた。
羽ばたく練習をしていた。

 こちらは巣をのぞく親。おなかが白い。

親は貫禄十分だ。

7月12日(日):
 行きがけには居なくて、大宮八幡宮からの帰りに寄ったら居た。親鳥。


 隣の木には雛も居た。周りの人たちの話では、朝方は近くを飛び回っていたらしい。もうすぐ巣立ちだろうか。
おなかが空いているらしく、巣に行ったり近くの枝に行ったりしながら、しきりに鳴いて親に餌をねだっていたが、親は獲物を持っていないようだった。

7月27日(月):
ずいぶん大きくなって、カラスやもう少し小さい鳥を追い払うためにあちこち飛び回っていた。