2020年5月13日水曜日

思い出、海外出張、プロジェクトSHARP、主としてUSA


海外出張、プロジェクトSHARP、主としてUSA

現地着日   現地発日 日数 場所
19951012(木) 1020(金)  9    USA・レキシントン、デトロイト、エル・セントロ、
                   サンディエゴ 
19951206(水) 1214(木)  9  USA・レキシントン、デトロイト

19960211(日) 0217(土)  7  USA・レキシントン

19960226(月) 0302(土)  6  USA・エル・セントロ、サンディエゴ、
                   レースロップ
19960511(土) 0523(木)   13  USA・レキシントン

19960614(金) 0623(日)     10       USA・レキシントン、トレド

19960713(土) 0712(金)       7  UK・ロンドン、USA・レキシントン

19960805(月) 0809(金)       5  USA・レキシントン

19960911(水) 0921(土)   11  USA・トレド、レキシントン(今回からアパート泊)

19961014(月) 0926(土)     13  USA・レキシントン、エル・セントロ、ラキンタ

19961119(火) 1217(火)      29       USA・レキシントン、レースロップ

19970109(木) 0221(金)      44    USA・レキシントン

19970305(水) 0527(火)      84       USA・サンディエゴ、レキシントン

19970609(月) 0627(金)      19       USA・レキシントン

      3年間  合計  266 

今回はPCで一覧表を作った。

この一連の海外出張は、同じ事業部で赤字合弁会社の支援プロジェクトを立ち上げた
取締役の人から声を掛けていただいたことによる。
合弁相手の会社との合同のプロジェクトだった。
ぼくの担当は、「現場力」みたいなものをつけることによって、コストダウン、
品質向上を目指すみたいなことだったが、技術屋ではないので製造技術ではなく、
現場の行動力をつけるというようなことを目指した。
安全衛生、5S、TPM、朝礼、交代勤務の直間の引継、改善提案なんかをキーワードに
して、工場長以下工場のトップ10を現場に引きずり出すことから始めた。
工場長は現場のチェックは部下の仕事だと言って、現場に出ないので、「毎朝ぼくと
一緒チェックにこなかったら首にする」と脅してしばらく連れまわした。
そのうちにトップ10はじめ、現場の人達から工場長への報告や雑談がすごくふえて、
感謝されることになった。
しかし、ぼくのやっていることの効果は目に見えないし、数字で示せるわけでもないので、
事業部からは評価されないだろうなーと思っていた。
仕事が代わって何年も後で知ったのだが、当時この会社に出向していた優秀な社員が、
ぼくがしゃべった5Sの内容を英語の小冊子にしてくれていて、これが全社の海外業務で
使われていたこと、当時の工場長以下の幹部の数人が日系の製造会社の幹部に転職して
いたこと、の2点で効果があったのだろうと推測することはできた。
3年間は駐在ではなく、長期出張ベースで行ったり来たりの生活だった。終わり掛けの頃
には疲れてきて、次は、国内で小さな会社に出向して定年かなーと思っていた。
さきの取締役の人が強く推薦してくれて、1997年7月1日付で人事部長になった、びっくり
だった。もつべきものは、いい上司だなーと、この人と幸運に感謝した。

人事部長の間には海外出張はなかったので、次は2002年から退職までの欧米出張をまとめる。

仕事は英語力のせいもあって、しんどかったが、工場はこういうのんびりした場所でいやされた。
199602玄関前。
199605には、子供連れでぞろぞろ歩いていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿