2019年1月9日水曜日

鷲宮・久喜の街・里歩き1月5日(土)

埼玉スリバチ学会の「鷲宮神社!古利根川の流路、砂丘、自然堤防、大宮台地!」に参加した。
 東武伊勢崎線の鷲宮駅に集合。フォームから水路と雁木が見えた。
 説明を聞いてから出発。
 このあたりは昔は水運が発達していて、こういう風景が多い。


この森が現在の鷲宮神社の境内。

鷲宮神社は中世には軍事拠点としても機能していて、このあたりに粟原城という砦があったらしい。
りっぱな農家が多い。
 鷲宮神社へ。ここには鳥居が立っていたのだが、去年8月に老朽化のため突然倒れたらしい。怪我人はなかったらしいが、その場にいた人はびっくりしただろうなー。

 初詣でにぎわっていた。


 本殿が二つあるめずらしい造りだ。裏側から見たところ。古事記、日本書紀、風土記の時代の出雲系の人達と関係があるらしい。
 池には、なにやらご由緒が書いてあった。
 ここから拝む。
池の 湧水。
 この神社は漫画、アニメの「らき☆すた」の舞台で有名とのこと。このお店もそれで有名になったらしい。甘酒を飲んだ、おいしかった。残念ながら、ぼくは「らき☆すた」は知らなかった。帰ってからネットをみたら、2004年から有名になったようだ、ぼくがテレビでアニメを見だしたのは、2009年ごろからなので、そのころには下火になっていた作品のようだ。

車での初詣が多くて、長い長い車の待ち行列だった。

 参道には古い家が残っていた。上下の写真は同じ家。

庚申塔。
 現在は製造されていない模様の型板硝子。
昔の台風による水害では、ここまで水に浸かったという表示があちこちにあった。
久喜市郷土資料館にはいる。資料がそろっていて、希望すればコピーがもらえる。質問にもていねいに答えていた。この図を見るとこのあたりでは関東武士団が長らく活躍していたことがよくわかる。
 水運もが発達していた。

コーナーの対象は小学生以下だが、写真ならいいだろうと思って記念撮影。
 庚申塔。左側にある「井戸水神宮」は初めて見た。
 現在は水路となっているが、ここが中世の利根川本流の跡らしい。当時の流れはくねくねとまがっていた。季節風が運んできた細かい土砂の粒子が自然堤防にさえぎられて、条件の合う一定の場所、場所に堆積し、砂丘を作ったらしい。いくつかの場所で、歩きながらこのあたりがそうだと説明を受けたが住宅地になっているのでピンとこなかった。
 やっと、ピンとくる場所が見られた。自然の力はすごいなーと思った。

 一画に神社が祀られていた。見られたのはこの神社が残ったおかげかも知れない。
靴跡がくっきりつく。

この後、三々五々道路沿いのお店で昼食。

 昼食後、さきほどの神社の道路を挟んで向こう側の砂丘にも行った。こういうふうに砂地だ。

 祠があった。向うの建物は老人ホーム。
 老人ホームの庭のめずらしいなーと思った柑橘類。実は大きくてしわがある。
この砂丘は老人ホームの敷地になっているので、芝生化されてはいるがしばらくは残りそうだ。
ここのお家にも井戸水神宮の石造物があった。祠もある。
 さっきの流の続き。
 男体山が見えた。

 JR東鷲宮駅近くの公園の小山。古墳だろうか、盛り土だろうか。現在のところは不明らしい。
みんなで登ってみた。

この後、東鷲宮駅から久喜駅に電車で移動。

久喜藩陣屋跡の公園の小山。古墳だろうか、盛り土だろうか。
 今日の収穫。
パンダとコアラ。
 庚申塔。
庚申塔。
光明院境内のお堂。お寺なのにしめ縄?が。

この説明板に出てくる「近津宮」、現在の福島県白河郡の奥州一ノ宮都々別(つつこわけ)神社は古事記の世界で、タケミカヅチと争って、出雲を追い出され、諏訪大社に鎮座したタケミナカタが諏訪大社から追い出したミシャグジ(神)の孫の神様が鎮座したという言い伝えもあるらしい。
 棠院。古河公方、足利成氏の子、政氏の館跡のお寺。
 鎌倉時代初めの武将である足利義兼の居館跡のお寺、鑁阿寺(足利市)と似た感じがした。
 堀の跡。
お寺に居たねこちゃん。

個人宅の立派な楠。
 久喜駅近くの愛宕神社。参道のさきには橋がない。不思議な感じだ。


この後、多くの方々は渋谷で開催された東京スリバチ学会の催し(新年会)に参加された。ぼくは久喜駅から湘南ラインで家に帰った。
天気が良くて、たのしい街・里歩きだった。