2018年2月8日木曜日

東浦和駅近辺の里歩き2月4日(日)

埼玉スリバチ学会の「続・東浦和の岬めぐりと見沼通船堀&八丁堤巡り」に参加して、一日中歩いた。

今日の地図。まず、右上の部分の八丁堤を見に行く。東西の道路の部分が人口の堤だ。真ん中を流れるのが排水路の芝川、右上の東西の丘の縁を利根川からの灌漑用水である見沼代用水が2本流れている。堤の北側に時代を追って、「見沼→見沼溜井→干拓された新田」となった部分が続く(この地図に載っていない部分も含めて)。

西の丘の上にある吉場稲荷神社。このあたりが堤の西の端。

附島橋から見た見沼代用水西縁(2本流れる代用水の西の分)。
八丁堤(道路)沿いに建つ附島女体神社。北側に見沼通船堀が流れている。

 八丁堤の南側の下から堤越しに、後で訪ねる鈴木家住宅を見る。
 芝川。八丁橋。
 下流方向。
上流方向。
 鈴木家住宅。見沼干拓にたずさわり、完成後、見沼通船堀の差配役になった2家の内の一つ。立派な家や倉庫、作業小屋が残っている。家屋内は子孫?が住んでいるので見れない。


米等の江戸への水運に使われた船が復元されていた。このあたりは江戸の食糧を支える大農村地域だったと思われる。
 芝川の東岸に建つ大間木水神社。

見沼代用水東縁沿いに建つ下山口新田稲荷神社。ここで八丁堤が終わる。
 境内の庚申塔。

1805年だ。
 見沼代用水東縁。右側の家の奥の森がこれから行く木曽路の富士塚。江戸時代後期のもの。
 麓にある下山口新田厳島神社。竜神伝説があって、日本昔話の「見沼弁天」に登場したらしい。
 土を盛り上げた富士塚だ。めずらしいように思う。
 胎内巡りのトンネルもあったらしい。今は閉鎖されている。
 トンネルに興味津津の人達。

 結構高い。見沼通船堀の方向(西の方向)。
見沼通船堀と見沼代用水東縁が交差する地点の東側に富士塚はそびえている。
 東西の代用水の水位は芝川の水位より3m高かったので、堰を設けて水位を調節して、船を通した。

 復原された見沼通船堀、ただしかなり縮尺されたものだった。
 休憩所付近にはネコがいっぱいいた。
 このあたりは、多分原寸の復元。
芝川に到着。見沼代用水東縁→芝川の見沼通船堀はここまで。
 
続いて、 芝川→見沼代用水西縁の見沼通船堀を見に行く。年に一度、実際に船を通すらしい。その様子が、YouTubeに投稿されていた。
 ここで見沼代用水西縁と交差。

東浦和駅はすぐそこだった。昼飯は三々五々になった。ぼくが行ったパン屋さんのイートインは結局ぼくだけだった。感じのいいお店だった。
昼からは、地図の左下の部分にいって、帰りは線路を越えて、線路沿いに東浦和駅に帰った。
駅近くの大きいお屋敷。
 井沼方公園。岬と岬の間の低湿地の公園。

 丘の上の部分もある。
土留めの丸太がきれいに倒れていた。
 見沼代用水西縁の続き。
大間木雨水幹線?見沼代用水と交差するところでは、下をくぐって流れていた。
 柳崎氷川神社。
 丘(岬の突端)に建つ。

 あちこちに水路がある。
観音院。ここも岬の先に建つ。比叡山の焼き討ちを逃れて来たお寺らしい。
 見沼代用水脇の空き地?の畑に下りる梯子。梯子の向う側にちょっとした畑が耕されていた。
 暗渠(上)から開渠(下)へ。中尾雨水幹線。

 大谷口調整池。
 結構な容積だ。
 大谷口雨水幹線。
ずーっと下に水面が見えた。
庚申塔。ここには1月6日の時にも来た、その時のルートとの接点だ。
 立派なお屋敷。

なにを意図しているのだろうか。
武蔵野線の貨物列車を狙っているらしい。
 コンビニで休憩したら、電気自動車の急速充電設備を持っているコンビニだった。知らない内に、世の中、進歩している。
 庚申塔。古くからあるような道の角にあった。
古そうなお屋敷。瓦から藁ぶきに変えるのだろうか。
井沼方の熊野社権現神社。丘の上に建つ。
明神社。平将門ゆかりの神社。
境内の庚申塔。
 大間木氷川神社。
この後、東浦和駅で解散。ぼくは、朝歩きはじめに見えた気になる大邸宅を見に行った。
 駅近くの見沼代用水西縁の西側の丘の上に建つお屋敷だった。

豊富な資料と詳しい説明で、たのしく歩けた。いつもながら、会長に感謝感謝だ。

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