2019年11月23日土曜日

水海道街歩き(茨城県常総市)11月20日(水)

 一人では行く機会がない街に案内してもらった。
 社会人になった時、勤務地は舞鶴だった。50年以上前なので、蒸気機関車やディーゼルカーだった。今日は守谷駅で関東鉄道常総線に乗り換えて、電車が発車する時「グゥワァァー」というなつかしいディーゼルカー発車音を聞いてうれしくなった。電車でなくて列車だったのだ。



うれしくなって街歩き中にも撮った。
この街にはブラジルの人達がたくさん住んでいるらしい。駅前にブラジル・スーパーがあった。

 一緒した人がさっきのスーパーで買ったチョコレート、おいしかった。

 ブラジルの人達が通う教会らしい。
この近辺には工業団地がいくつかあって食品工業が発達しているらしい。ブラジルの人達は主にそこで働いているらしい。


 まず、小貝川を見に行く。途中にあった今は生産していない型板硝子。ハイウェイ、1967年製造開始、2,4ミリ、旭硝子。
 らんまん、1968年、4ミリ、セントラル硝子。このガラスはめずらしい、あまり見かけない、ぼくは2回目。
 かわった柑橘類。
茨城県の幹線道?
筑波山。交通量が多い。
小貝川。
 鬼怒川と小貝川にはさまれた低地なので、台風のたびに話題になる。
 八間堀川は鬼怒川と小貝川の間を流れていてこのあたりで小貝川に流れ込んでいる。すぐ北側で新八間堀川と分岐してこちらは鬼怒川に合流する。

 この図を見ると怖いなーと思ってしまう。
昔の街道跡に建つ二十三夜塔と馬頭観音。このあたりは水運の拠点であり、また河岸と河岸の間の陸運の拠点でもあった。

 駅の裏に古い倉庫跡を見に行く。





こういう看板が付いていた。昭和2年は1927年だ。農協のマークに似ている。
常総市立図書館前に移築された旧水海道町役場。1913(大正12)年の建築。


この後、田舎の一膳飯屋さんでお昼ごはん、おいしかった。


 水海道天満宮。
境内の庚申塔。
 わかりにくがこちらも庚申塔。
すごく新しい二宮尊徳像。
皇帝ダリア。
町内会館?前の石造物。壊れたものは復元されたりしていた。石柱は道標だった。

茨城県立水海道第一高等学校に復元された昔の木造の講堂。


昔の表札。
十九夜塔。


鬼怒川の水運業者拠点の跡。すぐ西側を鬼怒川が流れていて、水海道河岸跡の石柱が建っていた。
看板横の建屋。富山運送となっている。子孫なのだろうか。型板硝子は、さくら、?年、2ミリ、4ミリ、セントラル硝子。
これが看板に書いてあった倉庫。手入れされてかなり改装されているようだ。後ろは鬼怒川の土手。
 目の前の立派なお屋敷。上下の写真。富山さん一族のお宅だろうか。」

 五木宗レンガ蔵。1882(明治15)年建築。子孫の方のお宅の一部のようだ。

 鬼怒川の土手。サケが上って来るとは驚きだ。




 北川質店跡。



立派なつくりだ。
型板硝子。 もみじ、1969年、2ミリ、セントラル硝子。

型板硝子。左側、錦(にしき)、1966年、4ミリ、旭硝子。右側、カルタ 1965年 4ミリ セントラル硝子。
 鬼怒川堤防からの男体山。

 右側の水門は(新)八間堀川が鬼怒川に流れ込む所にある。



 筑波山。


 水海道城跡の公園。

型板硝子。夜空 1988年 2、4ミリ 日本板硝子。
 「ワンワンワン」、家の番をしているのだ。
 もうやってないのかもしれないが小さい歯科医院の表札があった。




入口。今日も使っているようだったが中は覗けなかった。

 改造したのか、新しく昔風に建てたのかはわからないが、感じがいい建物だった。


 型板硝子。みどり、1971年製造開始、2,4ミリ、日本板硝子。
 型板硝子。つた、1967年、4ミリ、日本板硝子。趣のある一膳飯屋さんのショウウインドー。帰りがけに皆さんはここで懇親会、ぼくは踵が痛くなりはじめたので、後ろ髪ひかれたがまっすぐ帰った。
 型板硝子。もみじ、1969年、2ミリ、セントラル硝子。


奥行きがあるのがわかる。






 右側に砲弾を載せた日清戦争の石碑が見える。

 前を通ったら、「にゃー」と声を掛けてくれたねこちゃん。

 街道沿いの古い街には種屋さんが必ずある。多分、江戸時代から続いているのだろう。
 八幡神社。
 江戸時代に蒲生の里から出て来た近江商人が始めた酒蔵らしい。現在は福島県で醸造しているらしい。


 ちょっと前までは、街歩きの途中で720mlを買っていたが最近は体調もあって飲まなくなった。今日は久しぶりに300mlを買った。

わいわいがやがやとたのしい一日だった。

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