2019年10月19日土曜日

志木の街歩き10月17日(木)

街歩き仲間が主催している少人数グループにさそってもらって、柳瀬川、新河岸川、荒川の付近を歩いた。はじめての所だったのでおもしろかった。
 案内してくれた方の住んでいる団地のある東武東上線柳瀬川駅から出発。柳瀬川、シラサギ、アオサギ、ウなどの水鳥がたくさんいる。台風19号の増水ですぐ手前の草が薙ぎ倒されていた。けっこうぎりぎりまで水が来ていたのがわかる。

上流方向。
 古くから江戸の後背地として、農業、水運で栄えていたらしく、いろいろな史跡が残っていた。廃寺跡の名物の桜。
 六角形の庚申塔。
 行屋稲荷。上部の壁に絵が描いてあった。

 昔は大事にされていたお稲荷さんだったのだろうなーと思った。
陸運→水運とつながる交通の拠点だったことをしのばせる大きな馬頭観音。
このあたりのお寺はどこも樹木の手入れがすごく行き届いている。宝幢寺。
どういう種類かわからないがきれいに花が咲きそうだ。
このあたりは尾張藩の鷹場だったらしい。

一緒に参加した方の知り合い。しゃれている。
 新河岸川と柳瀬川にはさまれた低湿地の公園。昔は河岸があったらしい。仲間の写真に写っていたぼくの後姿。

 草のくずや倒れ具合から見て、台風19号でまわりの家の一部は床下浸水したようだ。
 どんどん草原を進んで新河岸川へ。
 新河岸川。小さい水路があちこちにあるので水門もあちこちにある。
 堤防上から歩いて来た方向を振り返る。昔は堤防がなくて、荒川→新河岸川→この低湿地と舟が来れたのだろうか。
新河岸川にも水鳥がいっぱい。
宿氷川神社。空き缶利用のおもしろい風車があちこちに飾ってあった。


 川だらけの街なので立派な川魚料理屋さんもある。

 お目当てのラーメン屋さんがお休みだったので、公園でコンビニ飯。今日の収穫。ぼくもこれと右のとに乗って撮ってもらったのだが、シャッターの押し方が甘かったらしくて、写ってなかった、残念だ。確認は必要だ!

 みんなでメンチカツ、コロッケなどを食べた。ぼくは肉団子串、おいしかった。


志木市と聞くと都心からはずいぶん溯ったところと思っていたがずいぶんな低地だった。地面の標高は数メートルしかない。

 かわいい。

産財氷川神社の富士塚。荒川の堤防の際にある。
境内の遊具。ぼくが子供の頃にはやっていたやつ。最近はほとんど見ない、危険とみなされて撤去されたのだろうか。志木市には昔懐かしい遊具がかなり残っていた。
 荒川の堤防内側の田んぼ。増水時には調整池の役割を果たして、江戸川・江東・墨田・葛飾区の荒川沿い0メーター地帯を守っている。台風19号でも水没したようで堤防の際まで水が来た跡があった。刈り入れが終わった後だったようでよかった。
 すごい広さだ。対岸にさいたま新都心、武蔵浦和のビル群が見えた。下流側にはスカイツリーも見えた。
田んぼの際に立つ菖蒲沼の馬頭観音。道がどろどろにぬかるんでかなり深そうだったので、堤防から望遠を大きくして撮った。
 大きな農家に見られる水塚(みづか)。右側の木の茂った小山。屋敷内に土盛りをして、上に蔵などを建てて、水害時の備えを置いたり、避難したりした。江戸時代以前には水害と共存していたようだ。ここだけでなくあちこちにあった。
右側に水塚があった。
 志木市郷土資料館を見学。
 昔は低湿地の田んぼだったので、これを使っていた。
 小さい舟。日常使われていたのだろうか。
 舟運に使われていた舟。結構な大きさだ。こんなのがこのあたりの川を通れたことが驚きだ。

こんなばかでかい櫓を扱う人が居たことにおどろいた。
 隣の一里塚跡にあった庚申塔。
資料館の隣。
 にったさん。




 古いロードローラー、関口工業の展示。

 移築保存されている古い建物。旧村山快哉堂(薬屋)の明治10年建築の店蔵。

 新河岸川の河岸跡。
堤防上から見るとこんな感じ。奥の方に柳瀬川と新河岸川の合流点が見える。
 敷島神社の富士塚。このあたりには富士塚が多い。
かっこいい猪。

古い街並みを見て、慶応志木高の際にある野火止用水跡を見て、志木駅から副都心線で帰った。たのしかった、かなりの歩数を歩いた。

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