2019年10月21日月曜日

忍城址の街歩き10月20日(日)

埼玉スリバチ学会の「古地図で浮かび上がる浮き城!行田・忍城の編」に参加した。
 JR高崎線吹上駅からタクシーで、集合場所の忍城本丸跡に建つ行田市郷土博物館に行く。
後ろの御三階櫓は1988年に建てられた郷土史博物館の一部で江戸時代のもの等の復元ではない。
 集合前に立派な博物館をめいめいで見学。気づかずに展示の写真を撮ったので、折角だからアップする。
 足袋関連の展示。
足袋の商標。たくさんのお店があったんだなーと思う。

御三階櫓で展示撮影不可に気がついた。窓から赤城山を撮る、左側の山。男体山はどれなのかわからなかったので、省略。
こういうことらしい。つまり、明治4年の廃藩置県に伴う決定の結果、城に関連する物はすべて取り壊されたらしい。ここから街歩きスタート。
博物館で50円で買ったこの地図を頼りに皆で城跡をたずねる。水色の所が当時は水を湛えていた場所、現在は住宅やビルが建っている。2000年の測量地図に1823年(文政6年)の絵図を重ねてあるので、現状と当時の状況を比べながら歩くことができる。


忘れられたような公園。
 この城?はどこからでも見える。
 この土塁は当時のもの。

 これは1988年のもの。
御三階櫓は博物館本館とこの廊下でつながっている。



博物館でマンホールカードをもらった。
地図をたどって歩き回るのだが当時を想像して、ここは水の上、ここは土塁の上などと想像するのみで、痕跡はあるがなにも保存されていないので、写真には撮る気がしなかった。想像するのはたのしかったがーーー。「のぼうの城」の雰囲気はまったく感じられないのが残念だった。
 古い建物はたくさん保存されていた。ここはお蕎麦屋さんになっていた。

横から見ると奥行きがあることがわかる。


ここで昼休み解散をして三々五々にお昼ご飯。ぼくはいつものとおり隣にあったセブンイレブンのコンビニ飯を屋外で食べた。集合もここなのでゆっくり見学した。足袋製作の実演もあった。期待していなかったが展示はすごく充実していた。

 ここで実演があった。


 2階の道具類の展示。




かたすみにあったなつかしい秤。







 大正5(1916)年の絵図。お城跡が載っている。
大正15(1926)年の絵図。
 上の写真の絵図の行田の部分。ここにもお城跡が載っている。
昭和30(1955)年の絵図。お城跡はまったく消えてなくなっている。
 博物館としてつかわれている製造所跡は店蔵跡とつながっている。最近まで何かの販売所に使われていたらしいが現在は使われていない。展示もされていない。
こことはこの扉で仕切られている。
昼食後はさっきの店蔵の表側の見学から。
これがずっと昔のお店の看板。
地図を見て、ここには水が溜まっていたとかここは土塁の上だったとかわいわいがやがや言いながら、まわりの古い建物も見学。この蔵はずっと続いていて立派なのだが通りに面した所が看板建築になっていて、なんだかなーの雰囲気だった。
 反対側から。ずいぶん長く続く建物だ。
 忍川に架かる秩父鉄道の古い鉄橋。
今は使われていなさそうな古い縫製工場。
 今年の4月に75歳になったのでーーー?



今日はここまで見つけられなかった庚申塔。
水溜りだらけだったお城の名残。
 やっと「のぼうの城」に関連する看板を発見。
 上下の写真あたりが激戦地らしい。
今でも水がたまっていて、沼地(湿地)だったらしいとわかる。
 ここはその昔はお城の南側の広い水面だった場所。公園になっていて、池として残っている。


 今では生産されていない古い型板硝子。いろり、セントラル硝子、1975年、2ミリ、4ミリ。上下の写真。

行田市バスターミナル観光案内所で解散、商工センターバス停まで行って、吹上駅に戻った。
かなりの距離を歩いてまわったが地図を見て忍城当時を想像するだけなので、被写体はすくなかった。こういう街歩きもありかなとは思った。

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