2018年6月7日木曜日

川崎・鶴見~昭和の痕跡を訪ねて6月3日(日)

ブラツバキと川崎探検隊が開催した街歩きに参加した。

午前中に有志で、蒲田と川崎のカフェー建築を見に行った。
まず、蒲田:
 蒲田駅前。
カラチ(パキスタン)、マニラ(フィリピン)を思い出した。
行く途中のラーメン屋さん。朝ごはんに、ラーメン屋にならぶ人達。
三業地跡に到着。このカフェー建築は多分もうすぐ建て替わるように思った。
 上の写真の左側の建物の側面。
 雰囲気は残っているが建て替わった建物。上下の写真。

現在は住居として使われているようだが、雰囲気の残る建物。
駅にも近いので、近い将来にはマンション、お店、住居として、リニューアルされると思われる。

次に、川崎:




蒲田とはまったく雰囲気がことなる。今後はどうなっていくのだろうか???

 ここからは、昼からの本番の街歩き。すっかり再開発されている。右端が友人の演奏会で行ったことのあるミューザ川崎ビル。
ドコモのビル。
右端は旧線路の橋桁跡。左端のマンションは線路跡に建っているので、曲線をえがいているように見える。
「攻殻機動隊」の雰囲気のゲームセンターのビル。

 1Fを素通りした。




通り抜けて,何となくほっとした、歳のせいだろうか。
簡易宿泊所街。改装済みだったり、建て替え中だったりしている建物もあった。オリンピックを目指してだろうか。



ここは旧東海道。向こうのレンガは廃線の橋桁跡らしい。
 線路補修用と思われる器具。何に使われるのだろうか。

 JR南武線の八丁畷駅。京急線八丁畷駅とのSuika乗り換えはこれにタッチしないといけない。

JR鶴見駅。
京急鶴見駅。
JR鶴見線の前身は鶴見臨港鉄道の路線だったらしい。現在は京急ストアになっているこのビルはその会社の建物だったらしい。
おもむきのあるビルだ。

 JR鶴見線沿いに歩く。この近くに本山駅の跡があった。
 読めないが古い看板。
総持寺の参道。
昔はこのたくさんの線路上に参道の一部分として、踏切があったらしい。現在は歩道の跨線橋のみになっている。

 こちらはJR鶴見線、草ぼうぼうで使われていないような印象をあたえる。
JR鶴見線の列車。2両連結。
 今日の遊具。

 これが有名なJR鶴見線国道駅。

 壁に残る第二次大戦の米軍機の機銃掃射の弾痕。上下の写真。

 薄暗いホームの下の通路。

途中に 横道もある。
戻って来たら、雑誌か何かの撮影中だった。
まだ現役で商売中らしく、すだれの向うに人が居た。
 ホームに行ってみた。
結構、乗客の人達が電車を待っていたので驚いた。
 線路は草ぼうぼう。

こちらのホームの下にはヤツデ(木)も生えていた。
ぼくが入社した頃に流行っていた形板硝子「銀河」。
 駅のすぐ脇を鶴見川が流れていた。後で、向こうに見える橋を渡った。

向うは、 JR鶴見線の鉄橋。



車庫の向うに旭硝子の京浜工場が見えた。
タクシーの車庫がおもしろかった。
 ここが正門。
踏切を渡って、入口まで行った。ここで行き止まり。

JR鶴見線弁天橋駅がすぐ近く。
 立派な施設。

JFEの事業所。弁天橋駅はこの2社の使う駅なので、トイレなど施設が超立派。


ホームはそうでもないがーーー。
JR鶴見線浅野駅に到着。本線の方向。
海芝浦支線の方向。海芝浦駅は東芝関係従業員でなければ出入り出来ないらしい。行ってもホームから引き返すしかないとのこと。
弁天橋駅よりから見るとこういう風になっている。

 ホームの向うにヤギ?が放されていた。

 両方向から電車が来て、うれしくなった。

 読めないものがたくさん。

アメリカデイゴ。

たくさんの自転車。
アメリカ軍の航空機燃料のタンク車。JR鶴見線経由で運んでいるらしい。
駅前。栄えていた頃の名残。
突然の訪問客。人気の的。

栄えていた頃ここには社宅が建ち並んでいたらしい。この銭湯も従業員と家族のための施設だったものが銭湯になったらしい。勤めていた会社の工場にも、従業員と家族のためのお風呂の施設があったのを思い出した。

燃料タンクが見える。



ここからJR鶴見線のこの電車に乗って、鶴見駅に戻った。
 JR鶴見駅の鶴見線のホーム着。
ちょっと低めの古いベンチに座ってみた。
 JR鶴見線のホームの時計とその説明板。
そういう時代もあったことを思い出す。
この電車は海芝浦駅行。
この電車は本線の扇町駅行き。

ここから品川駅経由で帰った。
たのしい一日だった。案内いただいたみなさんに感謝感謝だ。
一緒いただいた方々にも感謝だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿