途中から野火止用水沿いに歩く。
松平伊豆守信綱(1596~1662年、川越藩主、徳川家光に仕え知恵伊豆とよばれる)は玉川上水の工事の総奉行として、1653年に玉川上水を完成させた。その後、野火止用水を自領の川越藩内の飲料水、生活用水、農業用水として、玉川上水から分水して、1655年に完成させた。藩内の新田開発が行われ、敬意をこめて「伊豆殿堀」と呼ばれていた。玉川上水からの取水口は現在の小平監視所付近、志木市で新河岸川に合流している。現在流れている水は、玉川上水に小平監視所付近で放流されている高度処理した下水。野火止用水は再生されて雰囲気よく流れていた。
庚申塔。
平林寺に近づく。野火止用水はあちこちに分流している。
あちこちにこういう説明看板があった。
看板によって、写真がちがっていておもしろかった。
関越道を橋でまたいでいる。
これも分流の一つ。
平林寺に到着。
紅葉はまだだった。
マキの老大木。
菩提寺で、松平信綱はじめ一族郎党のお墓がある。
境内に野火止用水の分流が流れている。
境内は広いのでさっと回った。見物客はけっこう居た。数年前に来た時に比べると立入禁止個所が非常に多くなっていた。
平林寺の前にある新座市の茶室。電力界の大立者、松永安左門が飛騨から移築した田舎家を茶室にしていたものを引き継いだ平林寺が新座市に無償貸与したらしい。「新座市睡足軒の森」と呼ばれている。
野火止用水の分流、陣屋堀の築堤跡(一部分が残っていた)、この上を陣屋に水を供給するために流れていたらしい。
いろいろな野菜畑の中で、今日は人参畑がきれいだった。
あちこちで野菜や柿を売っていた。ここは自動販売機。ほかは置きっぱなしで代金入れがある形式だった。何度も買いそうになったが、家に帰って持て余すだけと思いとどまった。
蒸気機関車好きが集まっての催し。「乗ってくださーい」と声がかかったがやめておいた。「今日のぼくは元気がないのだなー」と思った。
川越街道を行く。ブドウ園なのに、牛。
ここにも。
おまけに筋向いにはこんな名前のお店も。
茅葺き。
よく見ると昔懐かしい「外便所」があった。
庚申塔。
丘を下って、黒目川の谷に向かう。
庚申塔。Y字路。
黒目川。
膝折宿跡(谷底の平地に位置する)に向かう。
宿場のあったあたりにはいる。
脇本陣跡。古い建物が残っていた。
子之神氷川神社(ねのかみひかわじんじゃ)に向かう。滝があるらしい。
コウテイダリア。
ニンジン畑。広い。
子之神氷川神社。
背後の丘には陸上自衛隊の駐屯地がある。
子之神滝。
滝の上の池。ここから滝が流れている。湧水が出ている池だ。滝の流れから見るとかなりの湧水量のようだ。
自衛隊駐屯地のフェンスぎわから見下ろす。
丘の崖の途中に上って、広沢観音。
境内前にある広沢の池。崖の下にあり、湧水がたまった池らしい。湧いている様子は確認できなかった。越戸川の水源らしい。
東武朝霞駅で解散。
会長、みなさん、ありがとうございました。たのしい里歩きだった。
追加:
今日初めて見つけた古い型板ガラス。
(多分)3社ともに生産、旭硝子:ラフライト、日板硝子:ソフトペーン、セントラル硝子:ソフトラル、1961年、2ミリ、4ミリ。
ハイウェイ、1967年、2ミリ、4ミリ、旭硝子。
もみじ、1969年、2ミリ、セントラル硝子。
0 件のコメント:
コメントを投稿