このあたりの街歩きには数回参加している。いつ来ても賑やかな駅だ。
いつもながら、ブラツバキでは、豊富な昔の写真や絵図を使って説明されるので、おもしろい。
駅前の商店街。「あいちゃん」がマスコットらしいが、少し微妙な感じの図柄だと感じてしまった。
好きな人には徹底的に愛されるだろうと思われる商店街だ。ぼくには、多少濃すぎるがーーー。朝から賑わっていて、今後も活況を続けていけると思う。
旧岩槻街道(鎌倉街道・日光御成道)の道標。
宝幢院。15世紀の中ごろに開山。
境内の庚申塔?
この後、星美学園の東の崖下を通って、陸軍第一師団工兵隊、近衛師団工兵隊の跡地へ向かう。
稲荷神社。
古墳かも知れないと言う場所。
丘の上に上がる。隅田川、荒川の方向を見る。陸軍第一師団工兵隊の跡地にはいった?
崖にへばりついて建っているので、階段が急だ。
崖の上の公園から、トンネルにはいる列車を。これは埼京線。
新幹線。
諏訪神社。 近衛師団工兵隊への道路造成のため参道がちょん切れている。
鳥居と道路の向うに見えるのが参道の続き。
向う側の参道に集められていた旧袋村の庚申塔、1700年代のものだ。ここも境内飛地だ。
境内にある水準点。
現在、桐ヶ丘団地(都営)になっている陸軍火薬庫の境界石杭を見に行く。たった一個しか残っていないらしい。
この医院の土地境界の電柱の陰にあった。残ってほしいなーと思う。
このあたりが弾薬庫敷地の入口だったらしい。南側に桐ヶ丘団地があり、そこが弾薬庫だった。ここは現在は公園。
今日の収穫。第一号。
コウテイダリア。
桐ヶ丘中央商店街。
看板の文言が、ぼくが小さい頃の雰囲気をただよわせている。
桐ヶ丘団地の建物は桐ヶ丘都営アパートと呼ばれている。更新建替えはあまり進んでいないようだ。ここは中央商店街の続きのアパート、昭和30年代の古いままだ。裏側から見た。
信用金庫の通用門だった。
信用金庫を表側から見る。
遠い昔を見るようでなつかしい。
公団住宅を更新建替えしたUR住宅。日本住宅公団→都市再生機構となって、公団住宅→UR住宅と呼び名もかわった。 赤羽台団地。
ベランダの手すりがおもしろい。
ここに来ると急に若い家族が多くなる。駅近だし人気があるのだろう。
スターハウス(住宅公団)。外観が好きなので、以前にも何回か見物に寄った。以前来た時より数が減ってきているので、そろそろ見納めかも知れない。住人もいないようだった。以前来た時には居たがーーー。 昭和30年代が最盛期。
赤羽台団地の崖下の低地にある亀ヶ池弁天。昔は色街があったらしい。
静勝寺。太田道灌が15世紀に築城した砦、稲付城の跡地に建っている。太田氏の菩提寺で太田道灌の木造を祀った祠(写真左端)もある。
旧岩槻街道を見晴らす絶好の位置にある。
下から見ると丘の崖は結構高い。
庚申塔。
再び、丘の上に上る。傾斜地に建つマンションの入口風景。
屋根から見下ろすねこちゃんは身が安全なためか堂々としている。
香取神社。
覆屋内の本殿は、上野東照宮の本殿内陣を1650年に移築したらしい。
境内からの見晴がいい。
稲付川の谷に下りて 、上流に向かう。
再び丘に上る。
同潤会住宅地?の建物。昔風のお宅が残っている。ここから3枚の写真。
今日の収穫。第二号。
この小学校や幼稚園は陸軍射撃場の跡地に建っている。
射撃場の境界石杭。
環七の姥が橋陸橋。根付用水(北耕地川・稲付川)は、ここから南西にあたる板橋区双葉町あたりの石神井川から江戸時代に分水した農業用水でこのあたりに姥が橋がかかっていたらしい。
オリンピックにあやかった人よせの命名?だろうか。
ぼくは懇親会には出ないで、ここから帰った。
今年もぼくの好きなこの広告の季節になっていた。といっても、広告の写真の雰囲気が好きなだけで、東北には行かないが。
たのしい街歩きだった。会長、みなさん、ありがとうございました。
追加:
本日初めて見つけた古い型板硝子、写真2枚は別々の場所だけれど同じ種類。「らんまん、1968年、4ミリ、セントラル硝子」。
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