2019年4月14日日曜日

二子玉川の街歩き4月7日(日)

ブラツバキの催し、「平成最後のFW~フルコースで愉しむ陽春のニコタマ」に参加して、街歩きをたのしんだ。
 早めに着いて、高島屋デパ地下で買ったイナリズシで昼食。二子新地駅側の河原で。
 ユーミンの「まぶしい草野球」を思い出す風景。

まわりの風景とは似つかわしくないけれど、東急田園都市線二子新地駅はすごく立派な駅だった。河原の球場で試合をした野球少年達が帰って行く。
駅近くの二子新地の三業地跡に行く。 江戸時代この辺りは二子の渡しがあって、にぎわっていた。その後、昭和40年ごろまで続いていたらしい。
まず、当時は神明神社とよばれていたらしい二子神社にお詣り。


大木が茂る。
 今はもう解散してないらしい組合名のはいった電柱があちこちにたくさん残っていた。
 神社の土手向うは河原。
境内にオブジェがあった。

おもしろい店名。改装中?廃業?
三業地当時の名残もたくさんある。
上の写真のお宅の窓。サンドブラストを使って描いたと思われる職人技の凝ったガラス。
われたら取り換えが難しいだろうから、もっとうまく撮りたかったが、光のコントロールができず、この程度で残念だ。


このお宅は入口が凝っていた。
 二子玉川駅の方に橋を渡って、東急砧線跡を見に行く。ぼくが学生時代に家があった赤堤の頃よく乗った玉電と同じ範疇にはいる路線だったらしい。ぼくの乗っていた頃は、玉電は、本線が渋谷駅~二子玉川駅、支線が本線途中の三軒茶屋駅~下高井戸駅だったと思っていたが、二子玉川駅~砧駅の支線もあったらしい。
 多摩川の砂利の運搬が主業務だったらしい。
 東急マークの境界杭(跡?)。
 野川。


 この辺りを鉄橋が通っていたらしい。

 水道局砧下浄水場。
砧駅の駅舎とベンチがバス停としてすぐ近くで利用されていた。玉電の時代とは90度方向が変わっているらしい。
 多摩川の土手に行く。

うららか、のんびりの世界。
 カジイチゴ。
 道標。「みぎ、ひだり」以外は読めず、いつも思うが昔の人はよくこんなわかりにくい字を読めたものだ。

コンビニにあった犬をつなぐポール。はじめて気がついた。
 国分寺崖線にある富士見坂。すごく急だ。

上からは富士山がきれいらしい。今日は残念ながら見えなかった。丘の上のこの辺りは高級住宅街。
建築中のお宅。いかにもお金持ちの雰囲気がただよう。
 岡本八幡宮。岡本村の開墾当時からの鎮守社だったらしい。
静嘉堂文庫は残念ながら休館日だった。小坂庭園に向かう。政治家小坂順造の別邸・庭跡だ。
 庭園にあった庚申塔。上下2枚の写真。この庚申塔のデザインはおもしろい。



 モチノキ。
 花を接写。
建物。世田谷区有形文化財。
 玄関前で、熱心に見学していて集合時間になっても出てこない人達を待っていたら、キツツキが木を叩く音が聞こえた。なかなか見つけられなかったが目のいい方が見つけてくれた。アオゲラだった。高尾山では時々見かけるが(写真はなかなか撮れない)、人をおそれずにこんな人里にいることに驚いた。うれしくなっていっぱい撮る。





 瀬田玉川神社。江戸時代初めの創建らしい。前の道は矢倉沢往還(大山道)らしい。


 町内会のバーベキュー大会。いいにおい。」
 蛭子さんはお金持ちだ。こういう言う面もあるらしい。好きな芸能人だが、ちょっと意外だった。
 拝殿内にあった蛭子さんの絵馬。よく見てみると、左が日本武尊、右が大己貴命と書いてあった。
 二子玉川駅の方向。
 参道を振り返る。高低差がよくわかる。
駅近くのここで解散。反射で見にくいが玉電の昔の路線図があった。

ぼくはこの後、懇親会には出ないで帰った。椿会長、みなさん、たのしく歩けてありがとうございました。

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