2018年5月17日木曜日

多摩丘陵の公園と絹の道5月12日(土)

多摩武蔵野スリバチ学会の街歩きに参加して、京王片倉駅から八王子市内を南下して、京王堀之内駅まで歩いた。
付近にお店等はなくて、田舎の駅と言った感じだ。

水のきれいな川だった。
道路沿いにはしゃれたお店があった。
 丘の上の片倉城跡の公園に向かう。

 コウホネ。
 よく見るとスイレンも咲いていた。



 到着。

うっすらと虹が見えて、みんなで喜ぶ。
 エゴノキがあちこちで満開だった。


この神社境内にあった説明看板。
アイスクリームを食べたコンビニの壁に居たカミキリムシ。
遠くの三角屋根の高層ビルは東京工科大学の校舎らしい。
またまたエゴノキ。
 この急な階段を上って、八王子市鑓水の大塚山公園に向かう。
 丘の上からは見晴らしがいい。

 絹の道の石柱。大塚山公園の道了堂跡の参道階段下にあった。絹の道は幕末から明治中期まで生糸の運搬に使われた道で、「神奈川往還」とか「浜往還」と呼ばれていた。現在、一部を八王子市がハイキング道(観光資源)として整備している。


 お堂の跡。絹の道の峠に鑓水の絹糸商人が建てたお堂、その当時は立派なものだったらしい。
そばにあった三角点。
 ハイキング道を歩く。大きくなりすぎて捨てられていた筍。
 いろいろな石柱。
 庚申塔もある。
 2,3分で絹の道資料館に到着。この付近が鑓水商人の根拠地。資料館は、生糸商人の一人の屋敷兼商館(外国人商人も含む)の跡に建てられている。
鑓水の生糸商人達は、江戸時代末に八王子近辺の養蚕農家と開港された横浜港の外国人商人との間にはいって商売を展開した。その大半は、明治時代後半以降没落したらしい。

 付近の風景。

ホウノキの花。
 昼食休憩時間中に近くの鑓水の諏訪神社にお詣り。


付近には大きいお家が多い。
ホタルを保護している区域があった。看板がでっかい。
 一里塚跡のエノキ。
 道標。

小泉家屋敷。現在も子孫?が暮らしていて、現役のお家。

 道路を渡って、鑓水の方向を見る。
 道路のこちらは多摩ニュータウン(八王子市地区)で、風景が一転する。





八王子市と町田市の境界。南側が町田市みたいだ。
 まだまだ造成中。太陽光発電パネルもあった。

「鮎の道」を歩く。津久井の鮎を江戸へ売りに行っていた道らしい。
多摩ニュータウン は里山風景の公園を併設して開発するのが売りなので、雰囲気のいい公園が整備されている。ここは小山内裏公園の大田切池。

 ホウノキの花。
ホウノキの実。
 戦争中に新車の戦車のテストをしたらしい戦車道路と呼ばれる公園内歩道を歩く。大山方面の風景。

 米軍基地らしい。
 ウツギ。

スイカズラ。
これも八王子市と町田市の境界らしい。つづいて、長池公園に向かう。
センダン。
 長池。
悲しい伝説。
池のそばに生えていたガマズミ。
 カバンの中で、超薄くなった「おにぎり」。味は変わらなかったようだ。
長池公園内の築池。
 同じく長池公園内の姿池。向こうの橋は後ほど見に行く。
子供達がたのしそうに遊んでいた。
 公園内の田んぼを見に行く。田植えの準備が出来ていた。

 苗代。稲の苗が育っていた。
田んぼにスムーズに水を供給するための溜池。田んぼの上流にある。
 田んぼからの帰りがけに青大将を発見。
 素早い動きでつかまえて来た野生の人。かっこよかった。
 手を出す人はいない。ぼくも近くでながめただけ。
 けっこう大きい。
手を出す人が遅れて登場。しかも女性。拍手喝采。
さっきの橋をくぐって、展示を見に行く。四谷見附にかかっていた橋を移設したらしい。


赤坂見附にかかっていた時の市電のレール跡。
 緑豊かに作られたニュータウン内を京王堀之内駅に向かう。





 京王堀之内駅に到着。ガウディー調のデザインの、駅とニュータウンとの取り付け階段。


ここで解散。よく歩いた。懇親会には出ないで、帰った。一部分ではあるが前から見物したかった多摩ニュータウンを見れてうれしかった。これで、千里ニュータウン、高蔵寺ニュータウンと有名なニュータウンを見物できた。
会長はじめみなさんに感謝感謝だ。




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