2018年10月23日火曜日

川越市の街・里歩き10月20日(土)

埼玉スリバチ学会の「河越・的場・霞ヶ関!川越のもう一つの原点と川越まつり」に参加した。
田舎の駅で、のんびりしたところだった。
駅前の不動産会社が付近の説明看板を作ってくれていた。
屋根付きの立派な自転車置き場。50年ぐらい前はこういうのが標準的だった。上下の写真。


巨大なトウガンみたいなのは、どうやって食べるのだろう。かざりだろうか。
新しいタイプの信号機。
この交差点付近を東山道武蔵路が南北に通っていたと推定されている。
八坂神社。


境内の稲荷神社。






御嶽神社。的塚という古墳?の上にある。上下の写真。

住宅街に忽然と現れた古墳。浅間塚古墳、円墳。上下の写真。

東京国際大学の寮。校舎も近くにあった。どちらも立派な建物だった。

後円部、上下の写真。

前方部、上下の写真。立派な前方後円墳。

入間川沿いに北上して、河越館跡に向かう。


 河越館跡の石柱。広大な長方形の土地だ。
跡地は一部がお寺、時宗の常楽寺になっている。残りは公園。



南西の隅にあった庚申塔。
流鏑馬も行われるらしい。



 北西部分に残る土塁の跡。




公園内のあちこちに説明板があって、わかりやすい。平安時代、鎌倉時代、室町時代と同じ土地に何回も造りかえられた重層の遺跡跡。
鎌倉時代後期、室町時代初期の姿。
ねこちゃんのお出迎え。
日枝神社。
 どちらが先なのか知らないが、東京にもあってまぎらわしい駅。ここでお昼ご飯解散。
最近、ますます根暗になっているので、いつもの通り、一人で、プラットフォームのベンチで持って来たアンパン等でお昼ご飯。午後からは電車で川越市駅に移動して、再開。
東武川越市駅。
野田神社(埜田神社)。右端の神様は応神天皇。
境内に立派なお神輿があった。これから川越まつりに繰り出す。

この刺繍が高価らしい。
古い型板ガラス。鳴門(ナルト)、旭硝子、1966年。
 新河岸川の起点。南側、赤間川、北側、新河岸川、北側にながれている。



ちょっと先の橋の上から流れを見る。上の写真の三角の所がさっきの石柱のある場所。
こちら側(北側)に流れる。
 古い型板ガラス。きらら、1966年、日本板硝子。
経ヶ嶋弁財天。
お堂に鏝絵(こてえ)が描かれていた。
トイレ休憩で寄ったコンビニの駐車場。川越まつりで勝手に駐車して行ったのだろうか。
なかなか考えた対策だ。
 今日の収穫。
 街に近づく。新河岸川沿いの遊歩道。
 お祭りの賑わいが近くなった。


 お寺の境内にかっこいい車が。


 六塚稲荷神社。
 お祭り地区にはいった。

19台の山車が出ているらしい。
 養寿院。河越太郎重頼のお墓がある。
 暗くなって夕立が降って来たので、山門で雨宿り。お祭り見物客が右往左往していた。
 雨がやんで見物再開。
歯科医院だった。
古い型板ガラス。つた、1967年、日本板硝子。


 虹が出た。






みなさんはお祭りをもう少し見物して、懇親会へ、ということだった。ぼくはここで帰ることにした。人混みで、東武川越駅 にたどりつくのは結構骨が折れた。電車はすいていた、Fライナーがすぐに来たので、新宿三丁目駅まで座って帰った。
 駅ぎわのムクドリの大群。騒音と糞でたいへんだった。

会長、みなさま、たのしい街・里歩きをありがとうございました。

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