2017年11月28日火曜日

淀橋台地界隈街歩き(東中野駅→都庁前広場)11月26日(日)

東京野良スリバチ学会の淀橋台暗渠スペシャルに参加した。

 東中野駅の東側は神田川の谷になっていて、駅ぎわから急に落ち込んでいる。このあたりは昔は田んぼだったので灌漑水路の跡が路地となって残っていた。その路地に下る階段、いい雰囲気だ。
以前に受けたカルチャーセンターの講義でもらった明治初期の地図。今いるのは右上のあたり。

 水路跡に下りる。
こういう感じで長く続く。
 神社門前の道標、「右ぞうしがや」となっている。帰って地図を見たら、なるほどと思った。
 「左堀ノ内」こちらはすぐにそうだなーと思った。
東中野第六天神社。道標はこの階段の左側にあった。第六天神社は関東に分布していて、西日本には皆無らしい。織田信長が篤く信奉していたらしい。ここから丘の上にある氷川神社に向かう。
 中野氷川神社。平安中期の武将源頼信(有名な源頼光の弟)が1030年に大宮氷川神社を勧請して創建。太田道灌ゆかりの神社でもある。お祭りのの時の範囲は中野駅付近まで広範囲にわたっている。



一度、中野駅北側あたりから流れて桃園川に注いでいた谷戸川跡と荻窪駅北側あたりから流れ出す桃園川跡の谷(大久保通りの付近)に下りて、南側の丘の上の宝仙寺に向かう。
 宝仙寺。源義家ゆかりのお寺。


 三重塔は、後ほど行く場所にあったが、戦災で焼失したので、1992年に復元移築した。
 この地域は水力を使った製粉業が盛んだった。その当時使われていた石臼を供養した塚。
 女房の葬儀はここを借りた。葬儀場としてどの宗派でも貸してくれる。
昔は中野地域の中心はこのあたりだったらしい。
 また、桃園川跡の谷に下りる。

 丘に上がって、空襲で焼ける以前にさっきの三重塔が建っていた場所に行く。

金網フェンスに囲われていて、近づけない。
 つづきの丘の上の高歩院。山岡鉄舟邸をお寺にしたもの。禅道場も開いている。


この後、またまた桃園川跡に下りる。
すずなりのみかん。
 桃園川緑道でくつろぐ仲間。二人ともうれしそうだ。
 桃園川跡の暗渠が神田川に注いでいる場所。
 すぐ近くの末広橋。神田川が中野区と新宿区の境。

 神田川を東側へ渡り、新宿側の丘に上る。

 蜀江坂この後、神田川東横の新堀跡のあたりを南に向かう。
 皆川会長ゆかりのビル。右側の白いビル。


神田川を渡る。
 淀橋。悲しい伝説がある。
 神田川の東側の再開発地区に最近完成した高層マンション。一階のお店は12月開店の貼紙があった。
 神田川を西側に渡る。
 淀橋と同じ悲しい伝説がある成願寺。伝説の主、中野長者が建てた。15世紀はじめに現在の十二社に創建、江戸時代初期に長者の屋敷跡の現地に移転。


神田川を渡り、十二社の池に向かう。
 向うの石の崖あたりが中野区(向こう側)、新宿区(こちら側)、渋谷区(左側)の接している3区境界点。
崖を正面の道から見る。崖の向う、渋谷区。左、新宿区。右、中野区。



 はごろも児童公園。和泉川跡の公園。この有名な本の表紙イラストに使われている場所。
 南方向。
北方向。この先で神田川に注ぐ。
 再び丘に上って、十二社の池に向かう。この窪みが池の跡。
昔は池畔にあったイチョウの木。この木と隣の御蕎麦屋さんの建て替え前の日本家屋と池の写真を見たことがある。
 池跡の向うは熊野神社。



 熊野神社の東の端。この壁の向うが白糸の滝。昔、境内にあった玉川上水からの神田上水助水掘の滝を偲ぶために造ったのだろうか。
 正面から。

都庁前広場で解散。ぼくは、いつものとおり懇親会には出ずに帰った。

たのしかった、Nishii隊長に感謝感謝だ。

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