2024年4月5日金曜日

阪神間旅行4月1日(月)~3日(水)

 いとこから、「2ヶ所のお墓参りをしませんか」と言うおさそいがあって、重い腰をあげて旅行に出かけた。

席は予約しているから早く行く必要はないのだが、よぼよぼしているので、早めに行った。周り中、外国人だらけで英語しか聞こえない。みんな乗りがよくて自撮りをしていると画面に積極的にはいってくる。



新大阪の新幹線西改札からまじかで、今夜泊まるレム新大阪に荷物を預けて、阪急で甲陽園駅に向かった。すっきりしている特急の社内。
夙川駅で乗り換え。

甲陽園駅に到着。駅前のいかりスーパーでお花とお供えを買った。ここでは笑い話があった。お花を選んでレジに持って行ったら一部分が造花だった、取り換えに行って持って行ったらまた造花だった。レジがひまだったので、おばさん二人と高校生かと思われるアルバイト?二人、計4人に笑われてしまった。ぼけているおじいさんと思われたらしく、たくさんのお供えとお花を丁寧に包装してくれて送り出してくれた。タクシーで甲山墓園にむかった。
ぼくの家のお墓の掃除をして、お供えして、親戚の家のお墓の掃除とお供えをして帰ってきたら、さっき供えた桜餅二つがなくなっていて、おどろいた。置いて行った荷物のはいっている紙袋もびりびりになって穴があいていた。カラスが見張っていてしめしめと持って行ったらしい。紙袋にはもっとはいっていると思ってつついたのだろう。
付近はサクラ(染井吉野)が満開だった。
帰りはちょうどバスが来たのでバスで夙川駅に出てホテルにもどった。
阪急梅田駅の駅なかにこのお店があって、あんまりならんでいなかったので、うれしくなって豚まん2個入りにしとけばよかったのに4個入りを買ってしまった。ホテルでよるごはんにして、3個食べたらもうはいらなくなった。食い過ぎで夜中に腹痛になってしまった。結局1個は翌日にすてた。
翌日は、11時に夙川駅でピックアップしてもらう待合せで出かけた。昨日から、阪急車内は東京で普段乗っている車両と雰囲気が違いすぎるなーと思って、よく観察したら、網棚上の広告が皆無だった。
時間があったので、70年近く前に卒業した小学校に行ってみた。門戸厄神駅で降りた。今津線の車窓からは何回も見ているが玄関前に行ったのは卒業以来?かもしれない。校舎はもちろん建て替えられているが雰囲気はむかしとかわっていなかった。通学した道を甲東園駅まで歩いた。当時は学校から直線の部分の両脇は牛が耕している田んぼで、灌漑用水路が道のわきに流れていた。いじわるな上級生に何回か水路につきおとされたのを思い出した。今は住宅街を流れているが、水もきれいで昔の場所にあった。ただ、違う所はきれいにコンクリート水路化されていることだ。当時は畦道側も道路側も土だったと思う。そういえば門戸厄神駅近くの今も残っている止水堰のところで魚釣りをしたこともあった。
ピックアップしてもらって、いとこの運転でまず甲山墓園にお参り、二人だけれど話題はつきない。二つのお墓にお詣りして、いとこが買って来たサンドイッチを石垣に腰かけて食べた。トンネル越えで山口町から有馬温泉に向かう。途中でおなかが痛くなって下痢しそうなので、有馬温泉古銭閣でトイレを借りた、親切にしてもらった。神戸の山側から鵯越墓園に向かった。景色のいいドライブだった。ここでは母方の祖父家のお墓参りをした。海まわりで夙川にもどって、いとこの奥さんの実家の豪華な建物に案内してもらって、いとこのピアノを聞かせてもらった。
夜ごはんは、甲陽園駅近くの子孫(こまご)と言う和食料亭でいとこにおごってもらった。おいしかった。滋賀の八日市の有名な招福楼と言う料亭で修業した料理らしい。


3日目の朝。

明治時代の二次元美人。

帰る日の3日目は事前に調べておいた神戸市立博物館の明治時代の手彩色写真展に行った。この日のメインは友人(同じ会社OB)夫婦とおひるごはんを食べることだったが11時40分JR三宮駅待ち合わせだったのでその前に行った。けっこうな雨降りの中歩いたのでびっしゃんこになった。おいしく、たのしく、おしゃべりしながら食べて新神戸駅から帰った。予約していたのより1時間前に着けたので時間変更をしようと思ったが対面窓口は外国人旅行者に手間取っているらしく長蛇の列だった。自動機でできそうだったので挑戦したが、いつもの通りできなかった(普段、予約が必要な時は、まごまごして後ろに行列ができないように、事前の日に予行演習インプットをしている)。改札口の駅員さんんに聞いてもう一度挑戦してやっとできた、原因はボタンが見つけられなかったのだった。
45分早められた。あとは楽に帰れた。
よぼよぼ、まごまごになって、新幹線等の機械予約が必要な旅行は行く気がしない。
出かけてみると楽しいのだがーーー。

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