小田原城郭研究会の山本さんが案内された古城(曽我氏館跡、松田城、河村城)をめぐる会に参加した。いずれも鎌倉時代から室町時代の城跡と思われる。
JR国府津駅に集合だった。早い目に着いたので、ずっと前に旧東海道歩きでも見に行った海岸に行ってみた。
のんびりしている。
彼氏が釣り中だろうか。
家はちょっとした崖の上にある。
御殿場線で下曽我駅へ。
下曽我駅前の和菓子屋さん。さっそくおもちを買った。おいしかった。
お店の右奥。
曽我氏館跡と推定されている台地の東南の端には神社とお寺がある。
お寺(城前寺)の附属幼稚園の壁には、仇討で有名な曽我兄弟にちなむ絵があった。
参道から。
本堂。
幼稚園の遊具。壊すといけないので、さすがにすべらなかったが。
館跡めぐり中に、われわれに驚いて死んだまねのカマキリがいた。
仲間が拾い上げると生きかえった。
双体道祖神。街道歩き中に甲府や長野でたくさん見かけた。ここも繋がった地域なのだろうか。
曽我氏館跡の標識。
少し荒れた農地になっている。
オクラ。なんとなく好きな花。
古墳の上に物見やぐらがあったといわれている。
二人が立っている前にほったらかしの井戸があった。
行儀のいい猫。
館跡のふもとの田んぼ。川沿いで、多分昔から米を作っていたと思われる。
ちょっと上は畑。
またまた行儀のいい猫。
多分、館と田畑の境。右側が館の方向。
かっこいいお屋敷入口。
下曽我駅に戻る途中、駅付近には、ぼくが入社した頃に流行った型板硝子がいっぱいあった。今は入手不能(製造していない)なので、コレクションとして撮っておいた、見覚えはあるけれど、詳細はネットで調べる。
松田駅に向かう。
電車の本数は少ない。
松田駅で三々五々昼食。
松田城跡に向かう。駅近くの造り酒屋さん。帰りがけにゆっくり寄ったが感じのいいところだった。試飲もできた。
地域を守る神様らしい。
自由が丘にもあって、今年は花を見損ねたと思っていた種類のサボテンが満開だった。ラッキーだ。
左側の双体道祖神。
すりへっているが左端にも。
小さな田んぼ。自家消費分だろうか。
「惣領」と「庶子」が地名になっている。昔、それぞれが住んでいたのだろうか。上下の写真。
この山が松田城跡。
けっこう急な道を登る。城跡は奥の方向(北の方向)に細長く延々と続く。
両側が谷。尾根の上が城跡。
タマムシ(死んでいる)。右のホタルの幼虫?が食べていた。
残っていた線路むき出しの生活道路的踏切。
松田駅から電車に乗って、山北駅着。ここから河村城跡に向かう。
この山が河村城跡。
前の二つの城跡とちがって、ここは公園として、整備されていた。
いきなりどんどん登る。
郭とそれをかこむ堀切。
もっと上がる。
上から覗くと上の堀切には水が溜まっていた。
郭は難攻不落だ。
再び下る。一番下にも水が溜まっていた。
下から見上げる。
長靴をはいているので、下の水たまりとそこから湧き出す流れを見に行けるのだ。
郭の反対側にも堀切があった。
図面。奥側は仕切りが多い。窪地が小さくて、数がおおい。
本城郭跡。
さっきの奥側の堀切を覗きこむ。
さっきの郭を見下ろす。
たくさん郭があって、ひろい。
堀切、堀もたくさんある。 公園なので、橋がかかっている。
振り返る。山がきれいだ。
振り返る。
正面の壁の向うに堀切は続いている。車両通行を可能にするためと思われるがちょん切ってしまった、そのおかげで堀切の大きさがよくわかる。
振り返る。
小田原方面。望遠いっぱいにするとお城が見えたような気がしたが、帰って、よくチェックしたら、大きなビルだった。みんなに見えるよと言ったのに、残念。
振り返る。
奥まで来た。この後引き返して、本城郭の西の城郭にいって、その先から山北駅に向かった。
里山の農道を下る。
町に下りた。水が豊富だ。洗い場があった。
双体道祖神。
すごい数のツバメの巣。営巣中は壮観だろうなー。
山北駅前。1934年の丹那トンネル開通まで、東海道本線は御殿場線経由だったので、その当時の主要駅だった山北駅前にはしゃれた建物が残っている。
山北駅から松田駅前にもどる。
みなさんは懇親会で小田急で小田原に向かった、ぼくは懇親会には参加せずに小田急新宿
経由で帰った。
たのしい一日、山本さん皆さんありがとうございました。
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