2018年9月29日土曜日

本庄市の街・里歩き9月23日(日)

埼玉スリバチ学会の「中山道の大宿・本庄宿と残丘上の古墳群・本庄」に参加した。
午前中は本庄宿、午後は古墳めぐりだった、たのしかった。早稲田の本庄キャンパスにも行った。

 この時間、本庄駅直通がなかったので、ここで乗り換え。ずっと昔、中山道歩きで何べんも使った駅だ。
本庄駅着。南側は新しく開発された場所。
 ぼくらは北側の古い町(旧本庄宿)に行った。旧大政商店本庄支店、大正時代の煉瓦建築。


 円心寺山門。二代城主小笠原信之が江戸時代初めに創建。

 八坂神社。本庄城跡にある。
 ここも城跡。
 落雷で焼けた。大規模な養生をして、生き残った。

裏からはいって、表から出る。
裏(北側)を流れる元小山川。利根川に合流しているので、昔は本庄宿との水運に利用されたと思う。

近くの本庄市役所でトイレ休憩した。
市役所の笑う埴輪のレプリカ。本庄市のキャラクター「はにぽん」の元になっているらしい。
 古い型板硝子。こと(古都)、1969年、日本板硝子。型板硝子のほとんどは、今は製造されていないが、なんだかほっとする。趣味の写真収集。
わかば、1967年、日本板硝子。同じ家なので、工事したガラス屋さんが日本板硝子系だったのだろうか?
 1560年創業らしい。祖先は新田氏の家臣だったらしい。3軒分ぐらいの間口だったようで広い。
街道に沿った間口から見た一軒分の敷地。細長い。
 諸井家住宅。明治の建物。
 街道沿いは裏側。
 煙突はお風呂のものだろうか。ここが煙突の下。
手入れ中。
 仲町愛宕神社。愛宕神社古墳の上に建っている。1591年に勧請。ケヤキは樹齢400年と言われている。


桶屋さんが奉納したベンチ?
歴史民俗資料館にはいる。昭和10年(1935年)までは本庄警察署。明治の建築。
 これが笑う埴輪。









 いろいろ展示されていて、あきない。

 庚申塔。

長屋門。資料館を後にする。
 元小山川にかかる明治時代の橋。上下の写真。

すぐ隣の大正時代の橋。上下の写真。

阿夫利天神社。ここも阿夫利天神社古墳の上に建っている。平安時代末の勧請らしい。
 普寛霊場。天台密教の寺院?で、御嶽教の開祖・普寛上人の墓がある。よくわからないお寺だった。
新吉原からの奉納がたくさんあった。
 旧本庄商業銀行煉瓦造倉庫。明治時代の建物。生糸で栄えていた時代の面影がのこる。生繭保管用に使われたらしい。



この後、カレー屋と蔵にある一膳飯屋の二組に分かれてお昼ご飯に行く。ぼくは一膳飯屋にした。
 やっと、街道沿い様式の建物に出会った。
 この蔵が数軒建つ一画に一膳飯屋があるらしい。
 残念ながら、従業員2人なので、時間的に8人が限界ということで、あぶれた数人はカレー屋に戻ることになった。
 ぼくはもともと「パン食、屋外お昼ご飯」が多いので、途中のこの和菓子屋でおはぎと和菓子を買って、神社境内で食べることにした。


 街道沿い様式の家。上下の写真は同じ家。

上下の写真は同じ家。このあたりは本庄宿の京都側のはずれにあたるので、明治、大正、昭和の近代洋式に建て替わらずに街道沿い様式の家が残ったのだろうか。

本庄金鑚神社。立派な神社だった。
 廃寺になった別当寺の門らしい。
この大木の右下の石のベンチ?で昼食を食べた。


 おいしかった。神様ありがとうございました。

この神社に集合して、隣の明治17年(1884年)別当寺跡に再興のお寺に行く。佛母寺、本庄高尾山。
 庚申塔。下の写真を切り抜いて拡大。教えてもらったところによると猿の上は、2羽の左頭、右尾っぽのニワトリとのこと。

 バスが予定の分より遅くてもいいとわかったので、付近を歩く。


 さっきの本庄金鑚神社。
 すぐ近くにあった古い型板硝子。カルタ、1965年、セントラル硝子。
 左右はカルタ。真ん中は、のみち、1964年、旭硝子。3枚の写真とも同じ家なので、のみち(旭硝子)は割れたので、後から入れ替えたと思われる。
浮き草(うきくさ)、1968年、セントラル硝子。

バスに乗って、南西方向の本庄市児玉町蛭川に向かう。
 駒形神社。近くには、東国武士団の一つで、このあたりの豪族、児玉党の武将に捕まった平重衡の首塚がある。

 大木が多い。
馬頭観音。
この後、早稲田本庄キャンパスの方向に向かう。新幹線本庄早稲田駅の方向でもある。
 小山川が流れており平地の水田が広がる。

 周りは稲、主たる部分は雑穀の田んぼ。
雑穀を拡大、キビだろうか?結構、あちこちに植えられていた。
 児玉町入浅見の金鑚神社。金鑚神社古墳の上にある。


 雰囲気のいい所を歩く。

大きいお宅。窓ガラスは古い型板硝子だったが うまく撮れなかった。
 近くのお宅の古い型板硝子、夜空、1988年、日本板硝子。
 火の見櫓の半鐘の打ち方。
大きなお宅。2階に空気孔がたくさんあるので、養蚕の部屋だったのだろうか?
使ってなさそうだけれど。もう一ヶ所見かけた。
 畑の中の鷺山古墳。
 登る。


三角点もあった。
頂上で記念撮影して降る。
 古い型板硝子、ささ、1968年、日本板硝子。
上の写真の右端、水輪、1965年、旭硝子。今日は古い街並み(里並み)なので、たくさん古い型板硝子を見ることができた。
後から、加工したので、おどろおどろしくなった看板。
 八幡神社。児玉党の武将が奥州征伐従軍後、1189年に鶴岡八幡宮を勧請したと言われている。
これは古墳のようにも見える。
 本庄キャンパスは浅見丘陵にかこまれている。北から、浅見山、大久保山、塚本山と続く。ここは塚本山の西の端、この山の大部分は早稲田大学が所有。
200基近くある塚本山古墳群の大半は早稲田大学敷地内で保存されている。文学部考古学研究室が研究している。このキャンパス内に早稲田大学考古資料館もある。15m以下の円墳が大半で、6、7世紀のものが多い。見てまわった感想は、現在の大規模霊園に似ているなーということだった、大規模霊園も1000年経つと誰のお墓かわからなくなって、こういう風になるのかもしれない。



延々と古墳が続き、番号が小さくなっていく。


やっと1号墳にたどり着いた。とにかく凄い数と面積だ、大学がハイキングコース的に整備しているようだ。
 塚本山古墳群を降ると本庄キャンパスにある早稲田本庄高校の運動場。
ここでしばらく休憩した。この向こうにも大型の古墳があるが籔漕ぎが必要なので眺めながら横を通った。
宥勝寺。児玉党が鎌倉時代初めに創建。
 新幹線本庄早稲田駅に到着。駅前の大型ショッピングセンター。

駅裏の本庄キャンパス内の大型古墳。ここも籔漕ぎが必要なので、外から眺めただけ。

みなさんは本庄駅行のバスに乗って、懇親会へ。ぼくは懇親会には出ずにここから東京駅へ。
皆様、たのしい町・里歩きをありがとうございました。
特に、会長に感謝、感謝です。

0 件のコメント:

コメントを投稿